『深く考える力』(田坂広志)
田坂広志さんの最新刊です。「深く考える」とはいかなることか。長時間考えることでも一生懸命考えることでもなく、それは、自分の中にいる「賢明なもう一人の自分」と対話すること。我々の能力を分けるのは、人生を分けるのは、「賢明なもう一人の自分」の存在に気づき、その自分との対話方法を知っているか否か。その方法について論じた一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「賢明なもう一人の自分」が持つ能力
①論理思考を超えた「鋭い直観力」
緻密に論理を積み上げるのは初歩的な段階。最も高度な「考える力」とは、そうした論理思考を超え、突如、新たな考えがひらめく直観力のこと。
②データベースを超えた「膨大な記憶力」
◯「賢明なもう一人の自分」が現れる「5つの技法」
①一度自分の考えを「文章」にして表してみる
・徹底的なブレーンストーミングを行い、頭の中のアイデアを一度文章として表に出す。
・そのアイデアが全てであるとは、決して思わないこと
・考えを文章に表すという修練は、究極、文章に表すことなく考えを深めるための修練に他ならない。
②異質のアイデアを敢えて結びつけてみる
③自分自身に「問い」を投げかける
④一度その「問い」を忘れる
⑤自分自身を追い詰める
◯文章を読むことで、「深く考える力」を鍛える
①思索的なエッセイ、随筆、随想などを、数多く読むこと
・筆者の「思考の流れ」や「思索の深まり」を推測しながら読む。
②自分だけの格言集を編集するつもりで読む
・何かの閃きを感じる言葉、深く共感を覚える言葉、思わず考え込む言葉。
・自分ならばこの言葉をどう書き直すか、自分ならばこの言葉の後にどういう言葉を付け加えるか。
◯心の天邪鬼に処する
・自分の心の中の焦りや苛立ち、不安や恐れ、怒りや憤りの感情を決して抑えようとせず、静めようとせず、ただ、静かに見つめる。
◯古典
・古典には2つの種類の言葉がある。
①「理想的人間像」
②「具体的修行法」
・古典を通じて我々が深く学ぶべきは、登るべき「高き山の頂」だけではない。その頂に向かってどのように歩んでいくか、その「山道の登り方」を学ぶべきであり、山道を登るときの「心の置き所」をこそ、学ぶべき。
◯謙虚さと感謝の逆説
・「人間は、自分に本当の自信がなければ、謙虚になれない」(河合隼雄)
・「人間は、本当の強さを身につけていないと感謝ができない」(河合隼雄)
◯解釈力という究極の強さ
・「引き受け」。全てを自分自身の責任として、引き受けること。我々が成長の壁に突き当たるときは、この「引き受け」ができない。その背景には、我々の心の中の「エゴ」の動きがある。
・その「小さなエゴ」は、常に、我々の心の奥深くで「俺は、悪くない」「私は間違っていない」と叫び続けている。
・何が起こったか。それが、我々の人生を分けるのではない。起こったことをどう解釈するのか。それが我々の人生を分ける。
・人間の「真の強さ」とはなにか。「解釈」を過たない力。その意味を肯定的に解釈する力。真の強さとは、その「解釈力」と呼ぶべき力。「解釈力」を身につけるためには、一つの覚悟を定めること。人生で起こることすべてに深い意味がある。
◯「明日、死ぬ」という修行
・「死生観」を掴むとは、いかなることか。それは、人生における「3つの真実」を直視すること。
①人は必ず死ぬ
②人生は一度しかない
③人は、いつ死ぬかわからない
・この直視により3つの力が与えられる
①人生の「逆境力」が高まる
②人生における「使命感」が定まる
③人生の「時間密度」が高まる
これまでの著者の考え方がぎゅっと詰まった一冊でした。「賢明なもう一人の自分」という存在。文章を書いて、読んで、考えてを繰り返していくうちに、そういった存在を自分の中にだんだん作っていけるのかもしれません。