MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

人生論ノート(三木清)

『人生論ノート』(三木清)(◯)

 名著です。NHK100分de名著シリーズでも取り上げられた一冊。哲学者であり、社会評論家であり、文学者でもあった著者。抽象的な論理ではなく、具体的な「もの」に即し「もの」の中にある論理が真の論理。昭和29年に発行された本書は、人生にまつわる23のテーマにスポットを当てて、まとめられた1冊。生きていく上でとても参考になると思います。一度は読んでおいていいと思います。文庫本で500円くらいとはお得です。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯嫉妬について

・もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在。嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向かって働くのが一般的であるから。

・どのような情念でも、天真爛漫に現れる場合、常に或る美しさを持っている。しかるに嫉妬には、天真爛漫ということがない。愛と嫉妬とは、種々の点で似たところがあるが、まずこの一点で全く違っている。即ち愛は純粋であり得るに反して、嫉妬は常に危険である。それは、子供の嫉妬においてすらそうである。

・愛と嫉妬との強さは、それらが烈しく想像力を働かせることに基づいている。想像力は魔術的なものである。ひとは自分の想像力で作り出したものに対して嫉妬する。愛と嫉妬が術策的であるということも、それらが想像力を駆り立て、想像力に駆り立てられて動くところから生じる。

・嫉妬は自分より高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に対して起こる。だがその差異が絶対的でなく、自分も彼のようになり得ると考えられることが必要である。全く異質的でなく、共通なものがなければならぬ。しかも嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。嫉妬がより高いものを目指しているように見えるのは表面上のことである。それは本質的には平均的な者に向かっているのである。この点、愛がその本性において常により高いものに憧れるのと異なっている。かようにして嫉妬は、愛と相反する性質のものとして、人間的な愛に何か補わねばならぬものがあるかのごとく、絶えずその中に干渉してくるのである。

・嫉妬は性質的なものの上に働くのでなく、量的なものの上に働くのである。特殊的なもの、個性的なものは、嫉妬の対象とはならぬ。嫉妬は他を個性として認めること、自分を個性として理解することを知らない。一般的なものに関して人は嫉妬するのである。これに反して愛の対象となるのは、一般的なものでなくて特殊なもの、個性的なものである。

・嫉妬とはすべての人間が神の前においては平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である。

 

◯習慣について

・人生においてある意味では習慣がすべてである。というのはつまり、あらゆる生命はあらゆる形を持っている。生命とは形であるということができる。しかるに習慣はそれによって行為に形ができてくるものである。習慣は生きた形であり、かようなものとして単に空間的なものではなく、空間的であると同時に時間的、時間的であると同時に空間的なもの、すなわち弁証法的な形である。

・普通に習慣は同じ行為を反復することによって生ずると考えられている。けれども厳密にいうと、人間の行為において全く同一のものはないであろう。我々の行為は偶然的な、自由なものであるゆえに習慣も作られるのである。習慣は同じことの反復の物理的な結果ではない。確定的なものは不確定なものから出てくる。ここの行為が偶然的であるから習慣もできるのであって、習慣は多数な偶然的な行為のいわば統計的な規則性である。

・流行に対して、習慣は伝統的なものであり、習慣を破るものは流行である。流行よりも容易に習慣を破り得るものはないであろう。

・自己が自己を模倣するところから習慣が作られてくる。流行が横の模倣であるとすれば、習慣は縦の模倣である。

・習慣を単に連続的なものと考えることは誤りである。非連続的なものが同時に連続的であり、連続的なものが同時に非連続的であるところに習慣は生ずる。つまり習慣は生命の法則を現している。

 

◯旅について

・人生が様々であるように旅も様々である。どのような理由から旅に出るにしても、全ての旅には旅としての共通の感情がある。旅に出ることは日常の生活環境を抜けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。たびの嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。

・旅は過程であるゆえに漂泊である。出発点が旅であるのではない。到着点が旅であるのでもない。旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことのみを問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真のおもしろさを知らぬ者と言われるのである。日常の生活において我々は常に主として到達点を、結果のみを問題にしている。こうれが行動とか実践とか言うものの本性である。しかるに旅は、本質的に観想的である。旅において我々は常に見る人である。平生の実践的生活から抜け出して純粋に観想的になりうるということがたびの特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考えることができるであろう。

・人生は旅とはよく言われることである。どこからどこへ、ということは人生の根本問題である。人生が旅のごとく感じられることは我々の人生感情として変わることがないであろう。一体人生において、我々はどこへ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。我々の行き着くところは死であると言われるであろう。それにしても死がなんであるかは、誰も明瞭に答えることのできぬものである。

・真に旅を味わい得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際しているものがいかなる人間であるかは、一緒に旅してみるとよくわかるものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。

 

 このほか、死、幸福、懐疑、虚栄、名誉心、怒、人間の条件、孤独、成功、瞑想、噂、利己主義、健康、秩序、感傷、仮説、偽善、娯楽、希望、個性について書かれています。どれも深く、まさに「人生論」です。いい本でした!

人生論ノート (新潮文庫)

人生論ノート (新潮文庫)

 

f:id:mbabooks:20180710045052j:plain