ジョン・レノン ラスト・インタビュー(池澤夏樹訳)
本書は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1980年12月6日に、つまりジョンが殺される2日前に行われたインタビューの記録でもある。二人は、自分たちの出会いに始まって、音楽活動あっから私生活の細部まで、なんの抑制もなく開けっぴろげに話した内容を収録した一冊です。以前、偉人研究をテーマとした読書会で取り上げたジョン・レノン。ここでは、その時に「ここはジョン・レノンの人柄が出てるかな」と思って線引きした箇所を中心にまとめてみたいと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯僕は前衛的なんていうラベルはそれ自体が敗北だと思うんだ。前衛派の展覧会というのがあるよね。前衛は合点来会を開けるというそのこと自体が前衛の目的を潰しちまっている。つまり、もう形式化され、儀式化された以上、それは前衛ではない。しかしその言葉だけが・・・それだけが彼女やその一族に対して適用できる言葉なんだ。
◯ほら、僕は学校の頃にも、つまりリヴァプールで美術学校に行っていた頃にもひどく自己破壊的だったんだよ。だいたいが延々とひたすらに酒を飲み続けるんだが、18とか19とかの頃は相当な量の酒を入れても身体を壊すようなことはまずない。ところが彼女に叩き出された時にも僕は18か19の時と同じように酒に飛びついてね、30いくつかだが、つまりあの時の僕だから37か、そんなになってからじゃそんなにたくさんの酒を吸収できないはずなのに僕は全く学校の頃と同じように振る舞った。
◯僕にとって一番楽しかったのは、できた歌をまずテームに入れてみる時を別にすれば、インスピレーションの来る時でね、つまり歌というのはいきなりやってくるものであって、職人が何かを作るみたいに座っていてできるわけじゃないんだ。それだって僕はやれる。そうさ、映画のためにバナナの歌が欲しい?できますよ、じゃ、こんな風にやろう ーこんなやり方はあんまり楽しくもないからかもしれないー しかしそのレベルでだって作れるんだ。
しかし僕の本当の喜びは、霊媒みたいに憑かれた状態でいることなのさ。ぼやっと座っている時に、夜中か何かにいきなり来ることもあるし、来て欲しくない時に来ることだってある ーそれが一番ゾクゾクするようなすごいことなんだ。
そこで、僕が横になっている時にいきなり歌が完全な形で、歌詞も節もやって来る。それをさ、ね、歌を書くなんて言えるかい?いったい歌っていうのは書けるものかいー ここにこうして座って入れば、いきなり歌の方で押しかけて来るんだよ。
だからせっつかれるような感じやピアノに向かうか、ギターを手にするかして、書き留める。作るんじゃなくて、思いがけず送られるようなものさ。
◯とても変な気がするんだ。昔あんなにドラッグのことで人々に惨めな思いを味合わせてきたのに、今ホワイト・ハウスにいるような連中がドラッグをあんなにバカにしていることがね。イギリスでは僕たちはある晩家宅捜査をされたんだから。それも・・・はめられたんだ。それが生涯僕について回る・・ようするに「おまわりが僕とヨーコと、それにブライアン・ジョーンズやストーンズを捕まえたためにね。
そういう記録が一生残るんだ。一人のおまわりが手柄を増して名を上げようとしたためにね。一生の記録だよ。こいつが僕を逮捕したんで、僕がどこかの国へ行く度に入国でごたごたするんだ。自分がドラッグを用いていたことがあるのは否定しない。
しかし、議会でも問題になったけれど、なんでジョンとヨーコを逮捕するのに40人ものおまわりが出てこなくちゃいけないんだ?
つまりあれはでっち上げだったのさ。『デイリー・メール』と『デイリー・エキスプレス』の記者がおまわりの来る前から来て待っていたんだからね。おまわりが記者を呼んだんだよ。実際にはね、やつらが行くぞって3週間も前にドン・ショートが教えてくれたんだ。だからさ、僕は家中調べ上げて綺麗にしておいたのさ。つまりあのアパートは、前にジミ・ヘンドリックスが住んでいたんだし、僕だってばかじゃないから、家中徹底的に調べたんだよ。
華やかな裏の様々な出来事がインタビューの中で語られていて、表と裏がリアルに感じられます。もう40年近く前に亡くなったジョン・レノンですが、未だ、音楽は生き続けている、一時代の最前線にいたスーパースターの貴重なインタビューを知ることができました。
- 作者: ジョンレノン,John Lennon,オノヨーコ,アンディピーブルズ,Andy Peebles,池澤夏樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/11/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (13件) を見る