『渋沢栄一「論語」の読み方』(原著者:渋沢栄一、編・解説:竹内均)(◯)
これは良書でした!今年のベスト5入り決定です。論語の入門編を数冊読んでから本書を読んだのもタイミングが良かったと思います。著者と言えば、名著『論語と算盤』がありますが、本書は、著者の畢生の大著『論語講義』(957ページ、16,200円)のエッセンスを編者によって集大成されたものです。論語の解説だけでなく、著者がその考え方をどのようにビジネスに生かしたかということも書かれている点が魅力の一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「人知らずして慍(いきどお)らず、また君子ならずや」
・私は今日まで『論語』のこの教訓を肝に命じてきた。自分の尽くすべきことをつくしさえすれば、たとえそのことが人に知られず、世間に受け入れられようが入れられまいが、一向に気にせず、決して、慍るとか立腹するとかいうことはせずにきたつもりである。
・孔子の教訓は、2400年前でも2400年後の今日でもからわず実行できる。孔子の教えは、一方に偏らず、万人が納得して実行できる。
◯「君子は本(もと)を務む。本立って道生ず。孝弟なる者は、それ仁をなすの本か」
・そもそも人間にはどれほど知恵があっても、その知恵に親切なところがないと、その知恵は悪知恵となり、悪いことをしても人を害し、身を損なってしまう。そこで私は人を使うときには、知恵の多い人より人情に厚い人を選んで採用している。
・すべて君子が事をなすには、形にとらわれず「根本」を把握すべしということ。根本さえしっかり立てば、枝葉は自ずから繁茂するように、目上に仕え他人に交わる方法は自ずから生まれてくる。
◯「曾子曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。人のために謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、伝わりて習わざるか」
・1日に何回もと言えないが、夜間床についたとき、その日にやったことや人に応接した言葉を回想し、人のために忠実に行動できたか、友人には信義を尽くしたか、また孔子の教訓に外れた店はなかったかを、反省考察している。もし夜間にこれをしなかったときは、翌朝に前日の行動を省察することにしている。
・人のために忠実にはかり、友人に信義を尽くし、孔子の仁道を行うならば、人から恨まれることなく、農商工の実業家は必ずその家業は繁盛するはずである。
・私を訪ねてくる人には、誰彼の別なく面接して、包み隠さず愚見を述べているのは、この曾子の言葉を少しでも行ってみたいからである。
・この言葉通り実行すれば、今後その過ちをしないように注意するし、行いを慎むうえに効果があるのはもちろんであるが、それと同時にその日その日のことが、一つひとつの記憶の上に展開されてくるために、これを順序よく頭の中に並べて、一目で点検することができ、深い印象が頭に刻まれて、自然に忘れられないようになり、記憶力を増強する効能もある。
◯「子曰く、弟子入る則ち弟し、謹みて信じ、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しむ。行うて余力ある、則ち以って文を学ぶ」
・実学が自分の身に備わっても、学問を修めなければ聖賢の教訓に暗く、物事の道理を識(し)らず、自然に我流に陥りやすい。
・私は青年時代から実学を旨として架空の大言壮語を嫌ってきた。明治6年、実業界に身を投じて以来、今日までこの方針を守っている。経済と道徳は両立できてうじゅんするものではないと信じている。
◯「子曰く、その以(な)す所を視(み)、その由る所を観(み)、その安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや」
・私は誠意を披瀝して客に接し、偏見を持たずに人と会見する。決して人を疑わずに、誠をもってすべての人を待つのが私の主義である。
◯「哀公問うて曰く、何をなせば則ち民服せんと。孔子対(こた)えて曰く、直きを挙げてこれを枉(ま)げるに錯(お)けば則ち民服す。枉れるを挙げてこれを直きに錯けば則ち民服せず」
・私は使用人を選ぶとき、才子肌の人を採らず、なるべく誠実で情に厚い人を採用した。安心して仕事を任せることができ、また世間との交際にも、不安の念を起こさせないためである。
◯「子曰く、人にして信なきは、その可なるを知らざるなり。大車輗(だいしゃげい)なく、小車輗なければ、それ何をもってかこれ行(や)らんや」
・「信」は道徳の中心。「信」について説いた箇所が『論語』の中に15箇所ある。
・私は明治6年5月から銀行を経営し、色々な会社事業に関係したが、信用の一点を重んじて大過なくやってくることができた。
◯「子曰く、君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲(ゆうじょう)してしかし升(のぼ)り下り、而して飲ましむ。その争いや君子」
・私の意見としては、争いは絶対に排斥すべきものではないだけではなく、生きていくうえで極めて必要なものであると信じている。
・私は世間の人から、絶対に争いをしない人間のように見られているが、もとより好んで人と争うことこそしないものの、絶対に争わないのが処世上最善の道とは思っていない。絶対に争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に負けるようになる。私は大した人間ではないが、正しい道を踏んで一歩も曲げないつもりでいるから、無法に譲歩するということはできない。人間はいかに円くても、どこかに角がなければならぬものである。
◯「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」
・私はどんな事業を起こすにあたっても、またどんな事業に関係する時でも、利益本位には考えない。この事業こそは起こさねばならない、この事業こそは盛んにしなければならないと決めれば、これを起こしこれに関与し、あるいはその株式を所有することになる。私はいつでも事業に対するときには、まず道義上から起こすべき事業であるか盛んにすべき事業であるかどうかを考え、損得は二の次に考えている。
◯「子曰く、約を以ってこれを失する者は鮮(すく)なし」
・私は倹約であると同時に、必要な事業には大いに積極でありたいと思う。そしてこれこそが、真正の倹約というものであると信じている。倹約・節度は国家でも会社でもまた一個人でも必要な美徳であるが、極端に走るのはよろしくない。
◯「子曰く、孟子反伐(ほこ)らず、奔(はし)りて殿す。将に門に入らんとす。その馬に策(むち)うちて曰く、敢えて後れたるにあらず、馬進まざるなり」
・「殿(しんがり)」をどうまとめるかにその人の真価が問われる。
・殿の重要性は兵法だけではない。実業界においても益感情よりも損感情を精細に取り扱って後始末をちゃんとつけられるような人でなければ、真の名事業家とは言えない。またこういう人でなければ、決して事業に成功するものではない。私は日頃この考え方で事業にあたり、殿を務める心がけをもって今日に至ったつもりである。
◯「子曰く、我生れながらにしてこれを知る者にあらず。古を好み、敏にしてこれを求むる者なり」
・世間では私を生まれながらにして優れた記憶を持っているかのように言ってるらしいが、私の記憶力は生まれながらにして自然にあったものではない。若いときから今日まで、毎夜寝る前に、その日にあったことをすべて思い起こし、まず第一にはこんなことがあった、次には何があった、その次には何があったと一つひとつチェックしてから床に就く習慣をつけている。これは言行の反省考案の方法で精神修養に役立つだけでなく、記憶力を養成発達させる上にも大きな効果がある。多少なりとも人よりすぐれた記憶力があるとすれば、毎夜就寝前の、この習慣に負うところが大きいと思う。
今回のまとめでは、『論語』の言葉解説ではなく、著者が実際に事業や行き方で活用した言葉に注力してピックアップしてみました。こうやってまとめてみると、人を創る言葉だなと思います。2400年以上経っても色褪せないなんて、なんてすごい!やはり、『論語講義』へ進みたいと思う素晴らしい内容でした。