『照心講座』(安岡正篤)
本書は、『活学講座』『洗心講座』に続く人間学シリーズ第3弾。
中国古典を学ぶことは『論語』や『孟子』などの経書によって己とは何かを反省し、内面的充実をはかって人間形成を体得することと、『史記』や『十八史略』などの史書を読んで、中国四千年とも言われる時代を生き抜いた人物像を学ぶことで、今の時代に生きる我々に人間学を身につける意義について大きな示唆を与えてくれます。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「古教、心を照らす」
・鎌倉時代の禅僧虎関禅師の言葉。
・本に読まれるのではなく、自分が主体となって読む。これが真の活学。
◯「中」
・中とは、文字学の上から言うと、相対立するものを統一して、より高いところへ進むと言う意味で、その代表が中庸。
・人間は色々の現実の活動を営むうちに、必ずそこから進化と同時に中毒が始まる。つまり”あたる”。栄養に富んだ食物、贅沢な食物を摂取することは、元来は大層良いことなのだけれども、だんだん続けているうちに、必ずそのために中毒する。或いは金を持つ、地位を持つ、権力を持つ、というようなことは皆これ人間としての生命の発展であるが、同時にそういう富貴栄達には必ず強い中毒性が伴うもの。
・文明もまたそうであって、民族は苦労して文明を発達させ、その発達させた文明のために自家中毒して滅亡する。それを繰り返してきたのが世界の民族の歴史。
◯「一掴一掌血・一棒一條痕」
・人間は一つの問題を把握したり、経験したりする時には、ふらふらした気持ちでは駄目で、一度握ったら手形の血痕がつくくらいの、一本打ち込んだら生涯傷跡が残るくらいの、真剣で気合のこもった、生命を懸けた取り組み方をしなければならない。
・真に活きた正学によって鍛えられた人材が出なければ、やがて日本におそるべき混乱と暗黒の時代がやってくることを覚悟しなければなりません。
・然し時局がそういう風になってまいりますと、時代、人身というものは自ら霊妙なものがありまして、人々は意識しないけれども、何か真剣で真実なものを求めるようになる。これが良知というもので、人間である以上誰もが本具するところである。
・致良知とはその領地を発揮することであり、それを観念の遊戯ではなくて実践するのが知行合一。
◯「陰隲(いんしつ)」
・陰は冥々の作用、隲はさだめるという文字。自然の支配する法則を、人間の探求によって得た法則に従って変化させてゆく、これが陰隲。
・「自然というものは法則の支配する世界。その法則を究明して、変わる世界を変えてゆくのが人間の使命であり、権威である」(アインシュタイン)。科学はそれを最も忠実に真剣に実践してきた。その意味において易学は、変わる学問と同時位帰る学問である。『陰隲録』もまた同じ。
・今、日本に一番大事なものは陰隲の努力。我々の古典を学ぶ意義もここにある。何も先哲・先人の遺した学問を、骨董品を珍重するように研究するのではなくて、それに基づいて、今日・明日の我々の人生、我々の社会・国家・民族を創造してゆく根本信念・根本識見を修めんがためである。
◯「五交」
権勢や財利のための交わりは、長続きするものではない。
①勢交(勢利の交わり)
②賄交(賄賂で交わる)
③論交(思想・議論等のいわゆるイデオロギーで交わる)
④窮交(困った時になんとかその窮地を脱しようとしかるべき人間に取り入る)
⑤量交(あちこち秤にかけて都合の良い方と付き合う)
◯興亡の原理
・国家も余り因循姑息に過ぎると、民衆も心あるものは、それに対して不満を持つ。異心・邪心あるものはとんでもない横暴をやる。それをまた外国が扇動するということになって、あっちもこっちもガタガタしてくる。これがひどくなると、結局は滅亡にゆくか、さもなくば運命に恵まれて、撥乱反正になる。これが興亡の原理である。
・一体道というものは、常に本に返り、始めに返って、永遠に連鎖循環してゆくもの。この道に基づいて事を行い、功を立てるのが義というもの。それを妨げる害を去り、利をなしてゆくのが謀というもの。謀の要は、いかにして業を保ち、成を守るか、つまり継体守文ということ。
内容はちょっと私には難しかったですが、言葉の持つ意味というものに着目するだけでも、その成り立ちから、歴史上の出来事や教訓と結びつけて押さえていけば、今に活かしていくヒントがたくさんに含まれているなぁと思います。漢字はこれから探求したいテーマの一つでもあります。