MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

安岡正篤 活学一日一言(監修:安岡正泰)

安岡正篤 活学一日一言』(監修:安岡正泰

 本書は、2006年に出版された『安岡正篤 一日一言』の続編です。カレンダー方式で一日につき、一つの言葉を取り上げ解説されています。古典からの引用や著者の考え方が散りばめられており、著者の著書を読むきっかけとしたり、ある程度著書を読んでからまとめ的に読んでみたりという読み方ができます。一日あたり0.5〜1ページなので、隙間時間に読みやすいと思います。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯敬と恥

・敬する心は、人間が限りなく発達を望んで、未完成なるものに飽き足らず、より完全で偉大なるものに憧れるところから生まれてくる。敬する心が起こると、必ずそこに恥ずるという心が生まれる。敬する心と恥ずる心とは相対関係のものでありますから、従って、敬を知る人は必ずよく恥を知る人であり、恥を知る人は必ず敬を知る人である、ということができる。

 

◯学問の順序

・詳(つまび)らかに言えば、学問は早年より中年に進むに随って、修徳の学(内聖の学)に時務の学(外生の学)を加えくるべきものであって、みだりに本来先後を謬(あやま)ってはならない。

 

◯教学半(なかば)す

・『書経』の「説命」に”教学半す”と。我々は学んで初めてその足らざるを知り、教えて初めて到らざるを知る。そこで自ら反り、強(つと)めるのだ。教えることは学ぶことであり、学ぶことによって教えることができる。

 

◯活きた学問

・活きた学問をやろうと思ったら、なるべく自然と人生の多方面に通ずるものを発見しなければならない。『論語』を読むにも、倫理学政治学社会学・歴史哲学、或いは心理学・物理学等と、多方面から実証することによって初めて活きた学問になる。

 

◯理の実践を道という

・道は歩いて行くのに必要な道筋。道は実践というものと離れない。理は人間がその知性・知能で解する、理解するもの。それを実践するものは道。そこでこれを結んで道理という。

 

◯六侑(宋時代の碩学張横渠)

①言に教有り⇨言葉には人の道の教え
②動に法有り ⇨行動は礼に敵う
③晝(ひる)に為す有り ⇨昼は有為な働き
④宵(よる)に得る有り ⇨夜は読書の学び
⑤瞬に養有り ⇨射には修養
⑥息に存有り ⇨学問は呼吸のごとく

 

◯九弊戒

・上の六弊

①人に勝つことを好む
②過を聞くことを恥づ
③口達者
④聡明を衒(てら)う
⑤威たけだかになる
⑥無理を通す

・下の三弊

①へつらう
②ものほしがる
③意気地なし

 

◯九患

①志有るも時無し
②時有るも友無し
③友有るも志無し
④志あるも其の師に偶わず
⑤師に偶うも覚らず
⑥師に覚るも勤めず
⑦勤むるも道を守らず
⑧或は志固からず
⑨固きも久しうする能わず

 

◯義と礼

・義に走って礼を忘れると偏屈になる。義を忘れて礼に拘ると卑屈になる。

 

徳川吉宗の教訓「うつむくな」

・人間は困った時にうつむく奴は役に立たんと言っておられる。困った時に点を仰いで長大息するような人間でなければ駄目だというのです。これくらいの気性がなければ確かに駄目だ。

 

◯因果の法則

・人間には奇跡というものはない。奇跡などというのは研究不足、勉強不足の言葉でありまして、原因・結果というものは常にはっきりしておる。悪いことをすると、いつかは悪い結果があらわれ、善いことをすれば善い結果があらわれる、というのは厳粛な自然の法則。従って人間は因果律というものを大切にしなければならない。

 

◯遊学

・真の学問は始めもなく終わりもないものだが、どこをとっても良いというものでなければならぬ。だから真の学問をしようと思えばどこからでも入れる。

 

知行合一王陽明伝習録』)

・「知は行の始めなり、行は知の成るなり」

 

◯まことの芸(鎌倉彫りの名人扇ヶ谷三郎の春慶堂秘伝)

①よきものをつくる心がけこそ大事なり。
②まことの芸は三十五六より始まるものなり。若くして至りたる芸を見せるもの、やがて芸の失するところをば知るべし。

③芸の精進なからんは、名利ありとも、いたずら事なり。
④芸のゆきどまりを見せずして、一期を終わるをまことの芸とす。
⑤古人曰く、命にはおわりあり。芸には果てあるべからず。

 

◯福と偪

・畐は人間が努力して収穫した物の積み重ね、即ち蓄積を表す形象文字。自分の心がけによって神の前に差し出すことができる蓄積、これが本当のしあわせである。自分の努力や心がけによらずに偶然に得たものは、如何に都合の好いものであっても、それは幸であって、福ではない。

・この畐が神の前の福ではなくて、人の前の畐、即ち偪になったらどうなるか。偪は、ふく、ひつ、ひょくという音があって第一には「せまる」、さらに「倒れる」「ひっくり返る」という意味に使う。示偏と人偏ではこれだけ違う。

 

 古典に触れて思うのは、言葉、特に漢字の持つ意味の深さです。本書にもいくつもの言葉の意味が紹介されていますが、普段何気なく使っている言葉に「へぇ〜、そういう意味があったのか」と気づかされることが多く、それだけでも為になる一冊だと思いました。

安岡正篤 活学一日一言 (致知一日一言シリーズ)

安岡正篤 活学一日一言 (致知一日一言シリーズ)

 

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