MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

いかにして人物となるか(伊與田覺)

『いかにして人物となるか』(伊與田覺)

 昭和を代表する東洋哲学の大家、安岡正篤さんに師事し、100歳を超えてなお現役で論語をはじめとする東洋哲学を伝え続けられている著者。孔子論語)・王陽明陽明学)・中江藤樹(近江聖人)の三哲はいかにして自分を磨いたのか。3人の共通点にも注目しながら、その生き様からの学びをまとめた講演録です。

 

(印象に残ったところ)

◯三哲の共通点

・「天命を知った」ことが共通点。

・万巻の書を読み、知識は非常に豊富で「知らざることなし」というくらいの天下の大先生といえども、この「天命を知る」ところまで到達した人は非常に少ない。だから3人は、学問から入って本当の意味の道を求める「求道」に転化した。

 

人間学を形成する「小学」「大学」「中学」

①「小学」

・テキスト:『小学』

・小学は小人(普通・一般の人)の学問。誰もがいつでもどこでも、わきまえておくべき基本的なことを学ぶ「修己修身の学」。重要になるのが「道徳」と「習慣」。中でも一番、形に表れる点において大切なのが「習慣」。

②「大学」

・テキスト:『大学』

・大学は、大人(たいじん)(他者に良い影響を及ぼすような人物)の学問。自己自身を治めていくという「修己治人の学」。その上に他人や社会に良い影響を与えて人を治め、あるいはリードしていく人物になるための学問。

③「中学」

・テキスト:『中庸』

・中学は中人の学。「中」には、「なか・うち」という意味だけでなく、「結ぶ」「当たる」という意味がある。違ったもの同士を結びあわせて、そこから新しいものを作り出すという「調和と創造」の学問。

 

人間学と時務学

・「大人(たいじん)」(立派な人物)となるための学問には2つある。

人間学:自己自身に焦点を当ててたに良い影響を及ぼす「修己治人の学」

②時務学:世間に立ち、大いに活躍して世のため人のために役立つ知識、技術など様々なことを身につける学問。

⇨「人間学」が本で、「時務学」は大切なものだが末。「人間学」を基礎として修める必要がある。

 

◯「古教照心」と「心照古教」の違い

・「古教照心」:古い書物(教え)によって自分の心が照らされるという意味。

・「心照古教」;自分の心が古い教えを照らす。幾多の学問を積み上げて自分が悟った境地、ここから古い書物を読んでみると、自分の思うところがそこに書いてある。古人と自分が一体になれる。古典を思い起こしてみると、全部、自分がこうだと思うことが書いてある。だから昔の人と自分は一つだ。従って、我が心が古い教えを逆に照らす「心照古教」の域まで達しないと本当に書を読むことにはならない。

 

孔子を支えた「五十にして天命を知る」

・「吾日に吾身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか」。振り返るということは、心の鏡(良心)に自分を写すことだから、鏡が澄めば澄むほど細かいところまで分かり、自分の誤りを発見することができる。

・鏡が澄めば澄むほど、いいところもわかってくるが、逆に良くないことも明確になってくる。他人には、「あの人は、立派な人だ」と映っていても、自分自身を振り返ってみたら、「ああ、至らなかったなぁ」と思えることが次々と明らかになってくる。講師が「五十にして天命を知る」と言ったことはこの心の鏡が非常に澄んできたことを表しているのではないだろうか。

 

◯「暁」という字

・暁は「さとる」とも読む。夜中に外に出ても真っ暗で何も見えない。見えないということは、無いのと同じ。それが明け方になり日が差してくると、その何も無かったものが見えてくる。悟った人というのは、見えないものが見えてくる。聞こえないものが聞こえてくる人のことを言う。だから人によって違ってくる。

 

陽明学の真髄は「事上磨錬」

・「事上に磨錬する」と言うことは、単に机上で本を読んで頭にそれを蓄積すると言うだけではなく、体を介して会得していくということが大切だと言っている。

 

陽明学が教える「知行合一

・「知は行の始め、行は知の成るなり。聖学はただ一箇の功夫。知行は分かつて両事と作すべからず」

⇨知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの完成であって、それは一つの事である。聖人の学問はただ一つの工夫あるのみで、知ることと行うことを分けて二つの問題としない。

・知るだけでは本当に知ったとは言えない。それは行動に移してこそ、本当の知。実践の裏付けがあってこそ、初めてそれを知ったと言える。行動が伴わなければ、その知は単なる空空寂寂たるもの・

 

 

◯人間の知識や知恵を超えた高みを目指す

・講師も全能の神ではないので、時には判断を誤ることもある。日々反省し「心の鏡」を磨いてきた孔子にしたら、「心の鏡」が澄めば澄むほど一般の人にはわからないような間違いも、本人には見えてきてしまった。

・間違いのない判断や教えを得る道はないものか、と考えに考える。四十代の半ばを過ぎた頃に「自分のこれまでの判断は、それまでに学問などで修めた知識をもとに結論を出していた。つまり自分の判断は、すべて他人からの借り物であった」と言うことに気がつき、人間の知恵や知識を超えた、もう一段高いところから判断を下す必要があると結論づけている。その結果、「天」と言うことを真剣に考えるようになった。

 

 本書で紹介されている三哲に関する書籍は多数ありますので、関心が湧けばそちらに移っていくのがいいかなと思います。歴史や古の聖賢に学ぶ点は多く、内省本としても古典は優れていると思います。

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