『神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人』(岡田能正)
つい先日著者の講演を拝聴する機会に恵まれました。在り方が素敵な方だということが、感覚的に伝わってきました。謙虚な姿勢、物腰の柔らかさ、お話される言葉の選び方。滋賀県近江八幡市で1282年続く賀茂神社の創建以来の宮司家を継ぐ長男として、同神社の禰宜を務めていらっしゃる著者による意味深げなタイトル通りの一冊です。「神社に行けば御利益がある、神社に行けば運気が上がる・・」。そんなことはあり得ない。神社に行く人が減っちゃうんじゃないかなぁ?と思わず心配してしまう内容です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯朝は再生のチャンス
・感謝と敬意が「御来光」という言葉に詰まっている。
・「今日も生きている」「新しい生を頂いた」という喜びと感謝を捧げる
◯夜の間に身は穢れる
・「浄と不浄の間に線を引く」「不浄は持ち込まない」
・朝、顔を洗い、歯を磨くことは、夜の間に身にまとわりついた「穢れを祓う」という意味合いが含まれている。
・禊とは「身を削ぐ」こと
◯身支度を「整える」
・身支度をきちんと整えるということも「祓い」になる。
・「なんでもいいや」とくしゃくしゃのものを着ていると、生き方も自然と「なんでもいい」ものになってしまう。
・いくら外で着飾っていても、家で脱いだら脱ぎっぱなし、たたみもせず、次にまたそれを着て出ていくというのはいただけない。それは、まるで穢れをまとって歩いているようなもの。
◯「いただきます」は「祓い」の言葉
・「いただきます」は、「尊い命をいただきます」という意味。
・お箸は横に置く。これは食べ物と自分との間に線を引くもの。「命を捧げたもの」(食べ物)と「生きているもの」(人間)の間の結界を表している。「お箸=結界」という考え方は日本ならではのもの。
・「神人共食」。祝い箸は両端が同じように細くなっている。これは片方の端は自分が食べるため。反対の端は神様が召し上がるためのもの。
◯誰も見送ってくれなくても「行ってきます」と言う
・「行ってきます」は「今日も頑張って、世の中のために働いてきます」「1日無事で、またこの家に帰ってこられますように」と言う意味の言霊でもある。「今日1日お守りください」と、あなたを見守る神様との会話でもある。だから、同様に無事帰ってこられたら、感謝を込めて、「ただいま帰りました」と言いましょう。
◯ネガティブな気持ちを浄化する
・鏡。「かがみ」から「が(我)」を抜くと「神」になる。「が」とは「闇」も意味する。「我が出る」「我が強い」など、自分勝手な主張が強いと、人から敬遠されるばかりか、神様からも敬遠される。
・「手拭い」と言う名称はそもそも「穢れを祓う」と言う言霊から来ている。顔や手を拭って、清める。物理的な汚れだけではなく、気持ちの穢れをも拭い去れるから、「手拭い」。
◯かばんを床に置かない
・風呂敷は「包む」もの。「包む」は「慎む」から来た言葉。そこには「慎んで差し上げる」と言う真心が込められている。
・あなたがかばんだったらどうでしょう?床に置かれたら「いやだ」と思うのではないでしょうか?言ったことは言われること、やったことはやられること、自分の行いは必ず自分に返ってくる。
◯脱いだ靴はきちんと揃える
・物の扱いもそうだが、靴の扱いは特に、見るだけでその人の人柄がわかると言われる。
・靴を揃えると言うことは、自分の心を整えることと同じこと。
・物の扱いに人柄がでる。ものを丁寧に扱えない人は、人に対してもそう。
ここでは、暮らしの中での神様の繋がり方(第1章)だけをご紹介していますが、他の章では神社との付き合い方や神道について書かれています。日常の行動がテーマになっているので身近で親しみやすい内容でした。