徒然草(著:兼好、校訂・訳:島内裕子)
『徒然草』(著:兼好、校訂・訳:島内裕子)(◯)<2回目>
やはりいいものはいいということで。自分に響くところは、1回目と同じような傾向がありますが、その時々で少し変わるかもしれません。全243段。徒然に書かれているので、読む方も構えずに読むことができます。古典の中でもとっつきやすい一冊です。訳もわかりやすく、校訂も秀逸です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯第一段より
好むと好まざるとにかかわらず、一度この世に生まれた以上は、全くのところ自分は何になりたいのか、実にさまざまな願望が心に去来するものだ。
◯第七段より
人間に死というものがなかったなら、「もののあわれ」を感じる心もなくなってしまうだろう。この世の中は、定めがないからこそ、素晴らしいのだ。
◯第七十三段より
・実際以上に、人は物事を作って言うし、まして、年月が過ぎ、場所も隔たってしまうと、言いたいように脚色して語り、それのみか筆で書きとどめたりもすると、すぐさま真実として定着してしまう。いろいろな専門分野の名人の素晴らしい話が語り伝えられているが、これなども、その分野のことを知らない未熟な人は信じ込んで、ただもうまるで神様のように言うけれども、その道を知っている人は、そんな話を聞いても、ちっとも信じたりしない。耳から聞いた話と、自分の目で確認したこととは、あらゆる面で違っているからだ。
・噂が世の中に溢れていると言う状況が、いつも普通にあるものだと、ありのままに心得ておけば、万事に付け、きっと間違わない対応ができるだろう。
◯第七十四段より
その老いと死がやってくる速さといったら、ほんの一瞬たりとも停止してはくれない。この決定的な死がやってくるのを待つのが人生であるとするならば、一体なんの楽しみがあると言うのだ。この世の真実を見定められずに迷っている者は、死を恐れない。なぜかと言うに、名声や利益に溺れてしまい、人生の最期が近いことを自覚していないからである。愚かな人は、老いと死を悲しむ。年取ることも死ぬこともなく、ずっとこのままの状態でいたいと願って、この世は常に変化し続けるという「変化の理」を知らないからである。
◯第八十三段より
・最高の地点までのぼり詰めた龍は、あとは落ちてゆくほかはないので後悔する。
・すべてにわたって、先が詰まっているのは、破局に近づいているという道理なのだ。
・破滅を回避するには、絶頂の一歩手前で自制するという生き方に活路を開くこと。
◯第九十二段より
・初心者は、二本の矢を持ってはならない。あとの矢をあてにして、最初の矢を射る時に、いい加減な気持ちが出てしまうからである。毎回、絶対に失敗のないよう、最初の矢で必ず的を射なければならないと思いなさい。
・道を修行しようとする人は、夕方には翌朝があることを思い、翌朝になると今度は夕方があることを思って、あとでよく修行して身につければ良いと、ついつい先延ばしにしがちである。「ただ今の一念」、つまり、この一瞬のうちに、しなければならないことを、すぐさま実行することが、なんと困難なことであろうか。
◯第九十七段より
たとえ良かれと思って仁義や仏法を一身に身につけても、それに雁字搦めになって身動きが取れなくなり、自由で自在な精神活動が阻害される状態を、最も忌避すべき。
◯第百八段より
・真剣に生きようとする人は、やがては必ずやってくる将来の死までの遠く長い歳月を惜しんではならない。たった今の一瞬が、空しく過ぎてゆくことをこそ、惜しむべきである。もし、だれかがやってきて、あなたの命は、きっと明日出なくなってしまいますよと告げたとしたら、今日の日が暮れてしまうまでの間、一体何をして過ごすのか。我々が今生きている今日この人いうものも、これと同じで、明日にも死が迫っているかもしれないのだ。
・その貴重な時間を浪費して、無益なことをし、無益な話をし、無益なことを考えて時間を潰すだけではなく、1日をそうして過ごし、ひと月の間も同じように過ごし、そうして一生を送る、これ以上に愚かなことがあろうか。
◯第百九段より
目もくらむような高さにまで登って、枝も細くて危ない時には、自分自身が恐れていますので、私からは何も申しません。怪我というものは、もう安心だと思うところになって、必ず起こすものでございます。
◯第百十段
勝とうとして、打ってはいけない。負けまいとして打つべきである。
◯第百十二段より
・人間たるもの、身に付けたい才能は、まず第一に、古典を読んで血肉化し古代の聖人の教えを知ること。その次に、字を書くこと。次に医術を習うべき。次に弓を射ることや馬に乗ること。以上、文・武・医の3つの道は一つとして欠けてはならない。
・次に食は人間にとって命の元。美味しく調理して味わえる人は立派な能力を持つ人とすべき。次に工芸品を作る才能。
・これ以外の才能は、不要である。
◯第百四十九段より
何かの芸能を身につけようとする人は、「上手にならないうちは、なまじっか他人に知られないようにしよう。こっそり、よく習っておいて、その上で、人前に出たならば、たいそう奥ゆかしいだろう」と、世間ではよく言うようだが、このように言う人は、一芸も達しない。まだ、まるっきり下手で未熟なうちから、上手な人たちに交じって、馬鹿にされ笑われても恥と思わず、平気で過ごしてさらに努力する人は、生まれつきの天才的な才能はなくとも、たゆまず、ないがしろにせず年月を送ってゆけば、生まれつき才能があっても一生懸命に練習しない人よりは、ついには上手になり、人徳も付き、世間からも許されて、並ぶものなき名声を博すことになる。
◯第百六十七段より
本当に、ある道に通じている人は、自分ではっきりと自分自身の至らなさを知っているから、常により高い境地を目指して努力し、最後まで自慢するようなことはない。
この中では、前回読んだ1年半ほど前、ちょうどコーチング活動を始めた頃でもあり、第百四十九段が心に刺さりました。「こっそりやって上手くなってから人前に出るのがいいだろう。恥をかかないし・・」。なんてことを見透かされていたかのような一節。これを読んで、思い切ってやってみよう!って決心したことを覚えています。確かに、下手でもいいからやって工夫していくうちになんとかなるものですね。そんな実践的なテーマが多いのも魅力だと思います。