奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業(荻野弘之、かおり&ゆかり)
『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』(荻野弘之、かおり&ゆかり)(◯)
エピクテトス(50/60年頃〜135年)は、ローマ時代(ネロ帝〜ハドリアヌス帝)のストア派を代表する哲学者。人間に付き纏う共通の悩みや不安を一変させるような言葉。一読して「なるほど」と納得できるような、いわば常識の延長線上にある凡俗な人生訓ではない言葉。奴隷出身ながら哲学者としての地位を築き、今もなお多くの方に影響を与え続けているエピクテトスの教えを漫画を中心にわかりやすく解説した一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯認識を正す〜「我々次第であるもの」とは何か
・自分の力の及ぶ「我々次第であるもの」と「そうでないもの」を区別する。どうにもできないものは放っておく。
・地位や名誉や財産など、自分でどうにもできないものを幸せの基準にしていたら、それらを得られないことで満たされず、得られたら得られたで奪われはしないかとビクビクし、結局それらに囚われて生きることになる。
・ストア派の基本戦略は、「我々次第であるもの」と「我々次第でないもの」の境界を正確に見極めて、自分の最良の範囲内にある物事にだけ、自分の欲望の対象を限定することにある。
・病気や死、貧乏、これらを自分でどうにかできると考えているから、いざそうなると落ち込む。
・あなたが望んで良いこと、それは「自分ができること」。態度の悪い上司を変えることはできないが、自分がその上司に接する態度を変えることはできる。
◯感情の奴隷から脱する
・外界の事物や出来事はそれ自体として善悪いずれでもない。どういった性質の事態として考えるか、その価値判断を下すのは我々の考え方次第。
・不安や悲しみから脱却する道は、「自分がどういう考え方をしているか」という徹底した自己反省に求められる。
・人は起こることによって心を乱されるのではない。起こることをどのように捉えるかによって心が乱される。
・感情の手前には「判断」がある。
・人は時に他人に対して正しい判断ができるのに、自分のこととなるとできなくなってしまう。自分に関する出来事をできるだけ他人事のように捉えてみること。
・事前に心構えをしておけば、むやみに嫌な気持ちにならずに済む。
◯人間関係のしがらみから自由になる
・事実を把握するところで立ち止まれ、そこから先の価値判断を下すには慎重であれ。
・我々が正しい認識を持つこと、少なくとも誤った即断に陥らないように慎重になること、それが今も昔も、独善的な正義感を振り回すことなく、他人の振る舞いに対して寛大になれるための道。
◯真に成長し、よく生きる
・負の感情の根源は「自己欺瞞」。自己欺瞞とは、自分で自分の心を欺くこと。自分の良心に反する言行をすること。つまり、「自分に都合のいい解釈をすること」。
・自分に都合の良い解釈をするような状態では、エピクテトスの哲学の核心である「我々次第であるもの」と「そうでないもの」を正しく見極めることはできない。
・自己欺瞞に陥らないよう、自分自身にこそ警戒の目を光らせることがエピクテトスの訓戒の核心。
・自分が下した評価がどういう根拠に基づいているのか、そこに先入観が入り込んでいないかと顧みること。
・目の前のものを一旦疑い、それを注意深く吟味した上で、改めて判断する。そうした慎重な姿勢が必要。心の外側にある出来事ばかりに夢中になると、どうしても自分の心を反省することが疎かにな利、そうした判断ができなくなる。真の人間の成長は、いたずらに知識を増やすことではなく、自身を顧みることでこそ実現する。
コーチングで学んだこととも通じるところがありました。自分が影響を及ぼせないことに囚われてしまうとどうしようもないループに陥ってしまうので、俯瞰目線や課題の分離といった考え方と一致するものがありました。