『空の哲学』(OSHO)
20世紀のインドの思想家OSHOのタントラ瞑想シリーズの一つで、1年以上にわたる全80回の講話集のうち8講話が納められています。成功を願う欲求、エゴとそれを手放す空による幸福の世界観。精神世界のテーマでもあるので、読み手がどう感じるか、読み手の意識・感性が問われる内容です。言語化により伝わる部分が少なそうで、言語化する前に自分に湧き上がる感覚に意識を向けて感じ取るような内容です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯直感を通じて生きる人間は、常に成功するのか?
・そんなことはないが、成功しようがしまいが、常に幸福である。直感に生きない人間は成功しようがしまいが、常に不幸だ。成功は基準にならない。成功はいろいろなものに左右される。幸福こそが基準だ。幸福は自分次第だ。
・直感に従っても、成功するかどうかは分からない。なぜなら競争者がいるから。たとえ自分が直感的に行動したとしても、往々にして他人はもっとずる賢く、利口に、手際良く、暴力的に、反道徳的に行動していたりする。だから成功は、他のいろいろなことに左右される。成功は社会的な減少。だから成功するとは限らない。
◯ブッダは失敗者だった?
・その友人や、家族や、妻や、父親や、教師たちや、社会の目から見れば、ブッダは失敗者だった。彼は乞食になった。これが果たして成功だろうか?偉大な帝王にもなれたのに。どう見ても彼は失敗者だ。
・でも私に言わせれば、彼は失敗者ではなかった。もし帝王になっていたら、きっと失敗者となっただろう。真の生を逃していただろう。彼が菩提樹の下で得たものは、真のものであり、そして、彼の失ったものは偽りのものだった。
・成功を目指してはいけない。成功はこの世で最大の失敗だ。至福にみちることを考えるのだ。どの瞬間にも、もっともっと至福に満ちることを考える。すると、世界全体が「お前は失敗者だ」と言っても、あなたは失敗者ではない。あなたは到達している。
◯空の哲学〜真理と無欲求〜
・人々は究極の欲求を満たそう、真理を見出そうとやってきた。真理こそ究極の欲求だ。ところが、すっかり無欲求にならない限り、真理を知ることはできない。真理を知るための必須条件は、すっかり無欲求になること。
・もし内側に欲求がなかったら、あなたはいったい何か。あなたは欲求の束に他ならない。もし、欲求がすっかりなくなれば、あなたはただ消え去る。別にあなたが存在しなくなるという意味ではない。あなたは空として存在する。ちょうど空っぽの部屋のように、あなたはそこにいる。
・ブッダ曰く、あなたは静寂になれない。なぜならあなたこそが問題だから。あなたは決して平安になれない。なぜならあなたこそが病気だから。あなたは決して至福を得られない。なぜならあなたこそが唯一の障害だからだ。至福はいつでもやって来るが、あなたが障害となっている。あなたがいないとき、至福はそこにある。あなたがいないとき平安はそこにある。あなたがいないとき、沈黙はそこにある。あなたがいないとき、エクスタシーはそこにある。自分の内なる存在が空であるとき、その空そのものが至福。だからこそ、ブッダの教えは「空の哲学」あるいは「零の哲学」と呼ばれる。
◯どうしたら鋭敏でありながら超然としていられるか
・鋭敏さは覚醒だ。鋭敏になれるのは、覚醒した人間だけ。無意識であるときは、全く鋭敏ではない。意識が増せば増すほど鋭敏になる。無意識・無覚醒こそが、執着の原因。
・なぜ人は他人に執着したがるのか。一人では満足を感じないから。何かが足りない。自分の中で何かが欠けている。自分は満ち足りていない。充足するためには何かが必要。だから執着が生じる。もし覚醒していたら、あなたは満ち足りている。一個の全体。もう円環は完結している。何も欠けていない。だから誰も必要でない。自分一人で、完全な独立性が感じられる。全くの充足感が感じられる。
きっと2年くらい前なら「怪しそう」の一言で片付けて、本屋さんのコーナーにも立ち寄らないジャンルの本ですが、今では、何となくこんな感じかなと思いつつ、「今の自分はどう感じるんだろう」と思いながら、普通に読むことができています。すべてを科学的に語り尽くせるのかという素朴な疑問はありますし、うまく表現できなくても感じ取る世界はきっとあるのだろうと思います。