『言志四録(二)』(佐藤一斎、全訳注:川上正光)(◯)
四巻セットの第二巻は『言志後録』。著者(佐藤一斎:1772〜1859年)が57歳からの約10年間に記した255条からなる語録です。ピンとくるもの、来ないもの。古典、特に語録系を読みながら思うのは、読み手の体験、思考力、あり方が試されること。私は、線引きしながらリアル本を読みますが、全然線が引かれないページが続くこともあります。「あぁ、この領域は全然意識せずに生きてきたな」と思ったとき、自分の中でアンテナが立つので、少しずつその後の日常の中で意識を向けてるようになります。言志四録四巻では、1133条もの条文があるので、自分の思考の偏りチェックにも役立つと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯学は一生の負担
・「孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を持って志となすべし」ということは孔子のいうことを無条件に心腹せよということではない。聖賢の書といえども自己の見識で読まなければならない(言志録12条参照)。
・「経書を読むの第一義は、聖賢に阿(おもね)らぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば、道明ならず、学ぶとも益なくして害あり」(吉田松陰『講孟余話』)
・額に志すものは如何なる書にも溺れないことが肝要である。
◯内外の工夫
・すべて教は外より入ってくるものであり、工夫は自分の内から考えだすもの。
・自分の内から考え出したものは、必ずこれを外で験(た)めして正しい事を実証すべきである。
・外からの知識は、自分でその成否を検討すべきものである。
◯教もまた術多し
①子弟の傍にいて助け導くのは教えの常道である。
②子弟が邪道に入ろうとするのを戒め、諭すのは教えの時を得たものである。
③自ら率先実行して子弟を率いるのは教えの根本である。
④何事にも口に云わずに、子弟を教化するのは教えの霊妙な極致である。
⑤一度抑えつけて、そしてほめ、激励して道に進ませるのは、教えの一時的な方便であり、臨機応変の方法である。
◯公務にある者の心得
・「公」「正」「清」「敬」の4つを守れば、決して過失を犯すことがない。
・「私」「邪」「濁」「傲」の4つを犯せば、皆禍を招く。
◯人は自ら累(るい)す
・人は「外物のために煩わされる」というかもしれない。しかし、自分はこう思う。「すべて万物は皆自分と一体であるから、必ずしも煩いをしない。思うに煩いをするというのは、自分自らがするのである」と。
◯「敬」の真義
・人は心に、感情がいずれにも偏せずすべての事を和やかに行うという中和の精神を持つならば、身体は安らかに伸び伸びしている。
・『大学』に「心広く平らかなれば身体は常にゆったりとしている」
・『書経』に周の文王の人となりを称えて「ゆったりとして柔らかく、美わしく、恭しい」
・ところが、この「敬」を手枷、足枷や縄で縛られたように、如何にも窮屈に感ずるのであればそれは、偽の「敬」であって真の「敬」ではない。
◯「思」という字
・心の役目は「思う」ということ
・「思う」ということは、道の実行について工夫を重ねること
・「思え」ばそのことについてますます精(くわ)しく明らかになり、いよいよまじめに取り組むようになる。
・そのまじめに取り組む方向からみて「行」といい、その精通する方面から見て「知」という。
・したがって、「知」も「行」も結局は「思」の一字に帰結する(知行合一は応用名の説くところである)
◯「学」と「問」
・「学」は古人の注釈を今に比べ合わせ、「問」の方は師なり友なりに質すことは人皆知っている。
・しかし「学」は必ずこれをわが身に実行し、また「問」は自分の心に問うて反省自修するという一番大切なことをおこなっている者は果たして何人いるだろうか。
・「書を読んで身に行わない者は、丁度鍬を買って耕さないのと同じであって、耕さなければ、どうして鍬を買う必要があろうか。行わなければ、どうして書を読む必要があろうか」(二宮尊徳)
◯静と動
・「静」を解釈して「動かず」とするのは、文字に拘泥した解釈で、「静」は決して動かないということではない。
・「動」を」解釈して「静かならず」とするのも、これまた文字に拘泥した解釈で、「動」は決して静かでないという意味ではない。
◯赤子は好悪を知る
・生まれて間もない赤ん坊でも物の好き嫌いを知っている。好きということは愛に属しこれはすなわち「仁」(なさけ心)。嫌いということは恥に属し、これはすなわち義(正しき筋道)である。
・孟子の「四端」
①惻隠(気の毒に思う)の心は仁の端なり
②羞恥(恥ずかしいと思う)の心は義の端なり
③辞譲(ゆずり合う)の心は礼の端なり
④是非(良し悪しを分ける)の」心は智の端なり
◯学問は自分のためにすべし
・学問という者は自分の修養ためにする者。学問は自分のためにするということを知る者は、必ずこれを自分に求める。
・「凡そ学をなすの要は、己の為にするにあり、己の為にするは君子の学なり。人の為にするは小人の学なり。而して己が為にするの学は、人の師となるを好むに非らずして自ら人の師となるべし。人の為にするの学は、人の師とならんと欲すれども遂に師となるに足らず。故に云く、記問の学はもって師となるに足らずと、是なり」(吉田松陰『講孟余話』)
◯公務員の心得
・次に示す6事項12字は官吏たる者よく守るべきもの
①敬忠:君主を敬い、忠義を尽くすこと
②寛厚:寛大にして、落ち着いていること
③信義:誠実で行いの正しいこと
④公平:公明正大で、私心なきこと
⑤廉清:貪る心がなく、心の浄きこと
⑥謙抑:へりくだり、自分を抑えること
第二巻も示唆に富んだ内容です。著者が10年かけて著された書籍だけあり、深い内容でした。内省本としても優れた良書です。