シャーデンフロイデとは、他人を引きずり下ろしたときに生まれる快感のこと。『人はいじめをやめられない』や『サイコパス』の著者が書かれた、人のダークサイドにフォーカスを当てた一冊。一番驚いたのが、シャーデンフロイデに影響を与えているのが、幸せホルモンと呼ばれる「オキシトシン」であること。オキシトシンは妬み感情も高めてしまうようです。シャーデンフロイデは、誰にでもあるようですが(倫理的である人の方が強く感じる可能性がある)、それを認めることは「恥」であり、自分の中に隠している部分。そんな部分にも目を向け、受け入れることで、人への向き合い方が変わってゆくかもしれません。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯愛の一つの側面
・「愛」や「正義」が麻薬のように働いて、人々の心を蕩(とろ)かし、人々の理性を適度に麻痺させ、幸せな気持ちのまま誰かを攻撃できるようにしてしまうことがわかっている。愛は人を救うどころか、それに異を唱える者を徹底的に排除しようという動機を強力に裏打ちする危険な情動。
・理性でコントロールされた生き方をするのか、それを知ってもなお、愛に生きるのか。決めるのはあなた次第。
◯オキシトシンの役割
①安らぎと癒し、②愛と絆。人と人のつながりを強めるのがオキシトシン。
・血圧を下げる
・心拍が遅くなる
・皮膚・粘膜の血流量が増える
・筋肉の血流量は減少する
・コルチゾール(ストレスホルモン)濃度を下げる
・消化・吸収がよくなり、エネルギーの貯蔵を効率的に行う
◯愛が憎しみに変わるとき
・「自分はこんなに愛しているのに、彼の気持ちは冷めている」
・「これほど尽くしているのに、彼女に振り向いてもらえない」
・「子供のためにと思って人生を捧げる思いで頑張っているのに、当の子供はそんな想いなど頭の片隅にもなく、身勝手に振る舞っている」
→「こんなに愛しているのに・・・」この感情が生起した後に何が起こるか。
愛という一見素晴らしい感情にもネガティブな側面がある。愛情の深すぎる人は、オキシトシンの動態がバランス良いとは言えない状態にある。
◯嫉妬と妬み
・嫉妬:自分が持っている何かを奪いにやってくるかもしれない可能性を持つ人を排除したいというネガティブ感情。
・妬み:自分よりも上位の何かを持っている人に対して、その差異を解消したいというネガティブ感情。
1)良性妬み:自分がもっと魅力的な人間になって、その恋人よりもっと素敵な人とお付き合いしよう。
2)悪性妬み:そんな素敵な恋人と付き合っているのはムカつくから、悪い噂をどんどん流して仲違いさせてやれ。なんならその恋人を寝取ってしまえ。
→オキシトシンは、愛情ホルモンとして人と人の絆を強める一方で、ネガティブ感情である「妬み」を強めてしまう働きを持つ。
◯正義感が引き起こすサンクション
・自分だけは正しく「ズルをしている」だれかを許せない。だから、そんな奴に対しては、オレ/私がどんな暴力を振るっても許される。そんな心理状態によって実行に移される行動が「サンクション」。
・年配の人に多いのは、生理的には前頭葉が持つ抑制機能の低下が、こうした振る舞いの原因として想定される。この機能は一度低下してしまうとなかなかそれを劇的に高めることができない。気力・体力が衰えるのを待つ以外に有効な方法が考えにくい。週刊誌などを読んで批判的意見を表出することで爽快な気分を味わおうとするような振る舞いもこれにあたる。
◯人の脳は誰かを裁きたくなるようにできている
・誰界に対して制裁を加えたいという気持ちが高まることで得をするのは、本人ではない。制裁を加える本人は、制裁することによる仕返しのリスクを負わないといけない。客観的に見れば、制裁というのは、そんな行動。
・利得が高くなるのは、「何も見なかったことにする」という行動を取った人。
・制裁を加える本人が想定できる利得というのは、実は制裁を加える本人の脳内に分泌されるドーパミンだけ。
・集団において、「不謹慎な人」を攻撃するのは、その必要が高いため。「不謹慎な誰か」を排除しなければ、集団全体が「不謹慎」、つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊してしまう恐れが出てくる。崩壊の引き金になりかねない「不謹慎な人」を潰しておく必要がある。誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行為。
◯標的を発見するのは妬み感情
・生存を企図する場合、人にとって集団を維持することは至上命題。攻撃に伴うメリットを何としても捻出する必要があった。それが社会的排除を執行する際に脳で生み出される「快楽」。快楽を伴っているだけに「異質なものを見つけてそれを攻撃する遊び」が形成されることがある。いじめが快楽を求めるためのゲームに発展することがあるのはこうした理由から。
◯美しいことは、正しいこと
・人は、集団を守るために個を犠牲にすることを「美しい」と感じさせるような脳の構造になっている。つまり「倫理的」であることは「美しい」と無意識に感じさせるようにできているということ。そして、それは無条件に「正しい」と認知されがちでもある。
・例えば、私財を投げ打って被災地に多額の寄付をするというような行為については、たいていの人が「正しい」「美しい」と、ひとまずは感動しなければならないことのように捉える。
・人間は無理をしてでも空気を読む。自分が例えそう感じていなかったとしても、社会から排除されてしまわないよう、わざわざ「美しいよね」と言う。
◯「悪」を攻撃している「わたし」は素晴らしい
・自分とは関係のない二次的、三次的情報は、本来「どうでもいい」もののはずだが、オキシトシンによって「自分たちの社会を守ろう」という社会正義の姿をした情動が生起していれば、これを見逃すことはできなくなって行く。
・実は、私たちの脳は人から承認してもらうことでドーパミンが大量に放出され、その快楽はセックスと同等かそれ以上であることがわかっている。この快楽を得るために、最も効率がいいのが「匿名で誰かを叩いて、それが多くの人から賛同してもらえる」というもの。
目を背けているところに光をあてる内容。確かに、ネットを見てもメディアを見ても、批判に溢れている社会。承認と批判、どちらの欲求も持っているでしょう。人間ですから。そこに俯瞰目線を持つという意味で気づきの多い一冊でした。これは難しい問題だわ。。。
シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)
- 作者: 中野信子
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
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