『読書について 他二篇』(ショウペンハウエル)(◯)
『読書について』『思索』『著作と文体』という3部作ですが、ズバッと切り込む文調で、自分の頭で考え、行動経験することの大切さを訴える内容です。私もそうですが、多読家の方が陥りそうな点について言及されており、なかなか興味深いです。逆にここを弁えていれば、落とし穴に落ちずに、読書を楽しんだり、有効に活用したりすることができるとも言えます。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯読書について:2より
・読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的に辿るに過ぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンで辿るようなもの。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
・だが読書にいそしむ限り、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。
・ほとんど丸一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。常に乗り物を使えば、ついには歩くことを忘れる。しかしこれこそ大多数の学者の実情である。
・バネに他の物体を乗せて圧迫を加え続けると、ついには弾力を失う。精神も、他人の思想によって絶えず圧迫されると、弾力を失う。食物を取り過ぎれば胃を害し、全身をこ損なう。精神的食物も、取り過ぎればやはり過剰による精神の窒息死を招きかねない。
・多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。つまり精神は、たくさんのことを次々と重ねて書いた黒板のようになる。従って読まれたものは反芻され熟慮されるまでに至らない。だが、熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものになる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。
・絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。しかし、一般に精神的食物も、普通の食物と変わりはなく、摂取した量の50分の1も栄養となればせいぜいで、残りは蒸発作用、呼吸作用その他によって消え失せる。
・紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではない。歩行者の辿った道は見える。だが、歩行者がその途上で何を見たか知るには、自分の目を用いなければならない。
◯読書について:8bより
・多くの場合、我々は書物の購入とその内容の獲得とを混同している。読み終えたことを一切忘れまいと思うのは、食べたものを一切体内にとどめたいと願うようなもの。
・肉体は肉体に合うものを同化する。誰でも自分の興味を引くもの、言い換えれば自分の思想体系、あるいは目的に合うものだけを、精神のうちにとどめる。
・「反復は研究の母なり」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながり良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。また、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象を受けるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである。
◯施策(→自ら考えること):1より
・数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても完璧な蔵書であれば優れた効用を収めるが、知識の場合も事情はまったく同様。いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であれば、その価値ははるかに高い。
・何か一つのことを知り、一つの真理をものにするといっても、それを他の様々の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。我々が徹底的に考えることができるのは、自分で知っていることだけ。知るといっても真の意味で知られるのは、ただすでに考え抜かれたことだけである。
◯施策:2より
・自ら思索することと読書とでは精神的に及ぼす影響において信じがたいほど大きな開きがある。
・読書は精神に思想を押し付ける。読書にいそしむ精神が外から受ける圧迫は甚だしい。自ら思索する精神は、読書する精神とは逆に自らの衝動に従って動く。読書は精神から弾力性をことごとく奪い去る。重圧を加え続けるとバネは弾力を失う。
◯思索:4より
・自ら思索する者はまず自説を立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。ところが書籍哲学者は他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾って一つの体系を作る。
・他人から学んだだけにすぎない真理は、我々に付着しているだけで、義手義足、入れ歯や蝋の鼻か、あるいはせいぜい他の肉を利用して整形鼻術が作った鼻のようなもので、それだけでは我々のものになれない。
◯思索:6より
・読書で生涯を過ごし、様々な本から知恵をくみ取った人は、旅行案内書を幾冊も読んで、ある土地に精通したようなもの。
・これと対照的なのが生涯を思索に費やした人で、いわば自分でその土地に旅した人の立場にある。そういう人だけが問題の土地を真の意味で知り、その土地の事情についてもまとまった知識を持ち、実際、我が家にあるように精通しているのである。
読書のマイナス面を手厳しく突いた内容です。何事もバランスが大切。読書の良さは他人の知恵、先人の知恵を借り、効率よく知識や発想を知ることができること。つまり時間短縮・効率性。そして、娯楽としての読書。実践的な知識を得るものについては、他方でいつも活用する場(職場など)があり、そこでのTry&Errorがあって、その問題を乗り越え先に進むことに活かせてこそ、本当に意味があるなと思います。
私の読書も次のステージは、実際に自分に役立った考え方に関する本について、その内容をまとめ統合し体系化していくこと。本書を読み、コンスタントに読書を重ねる先にあるものを目指したいと思いました。
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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