『百歳の論語』(伊與田覺)
本書は、7歳から論語に親しみ、100歳を超えてなお現役の著者による5回にわたる論語講義をまとめた一冊です。師と仰がれていた東洋哲学の大家で昭和を代表する陽明学者である安岡正篤さんとの関係についての話もたくさん触れられていて、ある程度論語や安岡正篤さんの著書に親しまれた方が読むと興味深い内容です。紹介されている論語の章句は多くありませんが、とても味わい深い解説だと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯有子曰く、其の人とと為りや、孝悌にして上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして亂を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む、本立ちて道を生ず。孝悌なる者は、其れ仁を為すの本か。
⇨有先生が言われた。「その人柄が、家に在っては親に孝行を尽くし兄や姉に従順な者で、長上に逆らう者は少ない。長上に逆らうことを好まない者が、世の中を乱すことを好むことはない。何事でも先ず本を務めることが大事である。本が立てば、進むべき道は自ずから開けるものだ。従って孝悌は仁徳を成し遂げる本であろうか」
・「本を務める」。人生における一番の根本は「本」出会って、「本」がしっかり立つことによって、そこから本当の道というものが生じてくる。
・孝弟は「仁」という孔子の教えの中核をなす徳目を行うための一番の根本である。
・「本立ちて道生ず」。何事によらず根本が立つということが大事。人間の道において一番根本となるのは孝弟である。一番身近な親には孝、きょうだい、兄や姉には従順である。いわゆる年上のものに素直に従うということ。
◯子曰く、弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば、則ち以って文を学べ。
⇨先師が言われた。「若者の修養の道は、家に在っては孝を尽くし、世に出ては長上に従順であることが第一である。次いで、言動を謹んで信義を守り、人々を愛し、高徳の人に親しんで、余力があれば詩書などを読むことだ」
◯曾子曰わく、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。
⇨曾先生が言われた。「私は毎日、自分をたびたび省みて、よくないことは省いておる。人のためを思って真心からやったかどうか。友達と交わって嘘偽りはなかったか。まだ習得していないことを人に教えるようなことはなかったか」
・「習わざるを伝うるか」とは、自分がまだ習熟していないことを人に伝えるようなことはなかったかの意。我々は本を読んでいろいろな知識を得ますけれども、それは頭で受け取っているだけで、体全体で受け取っているわけではない。しかし、人にものを教える場合には、まず自分がしっかり体得して、自信を持って教えることが大事と言っている。体得しないまま、本を数冊読んだぐらいで教えるようなことがなかったかと省みることが大事。
◯曾子曰わく、君子は文を以って共を會し、友を以って人を輔く。
⇨曾先生が言われた。「君子は文事(詩書礼楽等)によって友と相会し、その友達同士の切磋琢磨によって仁の道を実行して人間向上の助けとする」
・友達の大切さを説いている。偉大な先生はいなくなった。これからどうするかというときに、友達同士であれば「今晩一杯やろうか」と言って酒を飲みながら会するということがあるが、君子を志すのならば文を以って友達を集めて、友達同士の切磋琢磨によって仁を行い、人間として立派になっていく助けとするべきだろうと言った。曾子が新しい面を開いたのは、ここのところ。
◯子曰わく、之を道くに政を以ってし、之を齊うるに刑を以ってすれば、民免れて恥ずること無し。之を道くに徳を以ってし、之を齊うるに禮を以ってすれば、恥ずる有りて且つ格(ただ)し。
⇨先師が言われた。「政令や法律だけで国を治め、刑罰によって統制すれば、民は要領よく免れて何ら恥じることがなくなる。道徳を基本として国を治め、礼(習慣的規範)によって統制すれば、自ら省みて過ちを恥じ、自ら正していくようになる」
・法律というのは知ろうが知るまいが、決まったものを犯した場合には必ず処罰される。すると要領よく逃れる人が出てきて、そういう人が頭のいい人ということになってしまうと、孔子は言っている。
今年から論語教室に通っていますが、論語には2500年を超えて現代に伝わってきただけの普遍の真理が多数書かれています。とても全てを紹介できるものではありませんが、多くの方が論語を一度は読んでみてはどうかなぁと思うくらい、いいことがたくさん書かれています。学び実践して省みる。この繰り返しの中で体得したものが自然と行動に移せるようになるといいなと思います。