100分de名著 ブッダ真理の言葉(佐々木閑)
本書は、最古層経典の1つである『ダマンパダ(真理のことば)』を解説したNHK100分de名著シリーズの1冊です。現代における『ダマンパダ(真理のことば)』は、キリスト教で言えば聖書のようなもの。具体的には、仏教を拠り所にして生きようとする人が、どのような心構えでものを見、ものを考え、悟りへの道を進んだら良いかという基本的な指針を示した経典で423句の短い詩が集まったものです。本シリーズらしく、わかりやすく簡潔に要点がまとまっています。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯文例
・「ためになることをいくらたくさん語っても、それを実践しなければ怠け者である。それは例えば牛飼いが他人の牛の数を勘定しているようなものだ。そういうものは、修行者とは言えない。
・「他人の間違いに目を向けるな。他人がした事、しなかったことに目を向けるな。ただ、自分がやった事、やらなかった事だけを見つめよ」
・「善は急げ。心から悪を遠ざけよ。徳を積むのにのろのろしていたら、心は悪事に惹かれてしまう」
◯苦悩のメカニズム
①苦諦:この世は日たらすら苦しみであるという「一切皆苦」の真理。
②集諦:その苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること。
③滅諦:その煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理。
④道諦:煩悩を消滅させるための具体的な8つの道を実践すること
◯八正道(煩悩を消滅させるための具体的な8つの道)
①正見:正しいものの見方
②正思惟:正見にもとづいた正しい考えを持つ
③正語:正見にもとづいた正しい言葉を語る
④正業:正見にもとづいた正しい行いをする
⑤正命:正見にもとづいた正しい生活をする
⑥正精進:正見にもとづいた正しい努力をする
⑦正念:正見にもとづいた正しい自覚をする
⑧正定:正見にもとづいた正しい瞑想をする
◯因果応報
・この世の森羅万象、あらゆる現象の背景には、「因果」の法則が作用している。あらゆる出来事は必ずなんらかの原因によって起こるのであって、ものごとは全て原因・結果の関係で繋がっている。
・「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。あたかも車輪が、それを牽く牛の足に付き従うように」
・「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き従う。あたかも身体から離れることのない影のように」
・「愛慕の情から憂いが生じ、愛慕の情から恐れが生じる。愛慕の情を離れた者には憂いがない。まして恐れなどどこにもありえない」
・「快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れた者には憂いがない。まして恐れなどどこにもありえない」
・「恥じなくてもよいことを恥じ、恥じなければならないことを恥じない。そういう者たちは、誤った見解を抱いたまま、悪い場所へと生まれ変わっていく」
・「恐れなくてもよいことに恐れを感じ、恐れなければならないことに恐れを感じない。そういう者たちは、誤った見解を抱いたまま、悪い場所へと生まれ変わっていく」
◯執着
・執着し、貪る者は、ますますそこに縛られてしまう。それは、蜘蛛が自分の糸で巣を作ると、その糸の上しか歩けないのと同じである。しかし、賢者たちは蜘蛛の糸を断ち切って自分の道を進んでいく。
・我々はまず、自我というものを世界の中心に想定し、その周りに自分の所有する縄張りのようなものを同心円上に形作っていく。その一番外側に、世間と呼ばれる一般社会を配置する。自分はこの世界像の主人だから、手に入っていないものがあったら手に入れ、意のままになる縄張り部分を増やしていこうとする。これが執着。すなわち、執着とは、この「自分中心」の世界観から発生する。自分中心の考え方に立つ限り、欲望は消えないし、きりがない。
◯ブッダの教え(4つの柱)
①一切皆苦
すべてのものはみな思い通りにならない。この世で生きることは本質的に苦だ。
②諸行無常
すべてのものは常に変化してゆく。生じては滅びるものが、ものごとの定めである。
③諸法無我
すべてのものにおいて、「私」とか「私のもの」という実体は存在しない。全てものものには、その関係性において存在している。
④涅槃寂静
仏教における絶対平安の境地。時間の流れを超えた真の安らぎ。
ほんのほんのさわりくらいではありますが、ブッダの世界を知ることができます。この中でも「執着」については、なかなか手放すことが難しい世界です。失うと心が揺らぐものばかり、物にも人にも執着がたくさんありますね。断捨離ですらなかなか進まないのは、やはり執着が強いからかなぁと思います。