仏教語源散策(編著:中村元)
『仏教語源散策』(編著:中村元)
本書は、仏教を語源とする現代でも使われている用語をその歴史とともにまとめた、用語集や辞典を3〜4ページに膨らませてわかりやすく解説した一冊です。
日常使ったり聞いたりする言葉だけど、そもそもどんな意味だったっけ?ということを確認して、言葉には深い意味があるんだなぁということを知るだけでも、言葉のエネルギーは増すのではないかと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯我慢
・自己の中心に我があると考え、その我のよりどころとして心が驕慢であること。己を頼んで心のおごる煩悩。自らをたのむ慢心。
・我慢というのは七慢のうち4番目。
①劣った他人に対して自分が勝っているといい、等しい他人に対して自分は等しいという「慢」
②等しい他人に対して自分が優っているといい、優っている他人に対して自分は等しいという「過慢」
③他人が優っているのに対してさらに勝るという「慢過慢」
④我あり、我が所有ありと執着しておごり高ぶる「我慢」
⑤いまだ悟っていないのにわれは証得しているという「増上慢」
⑥他人がはるかに勝っているのに対し、自分はわずかしか劣っていないという「卑慢」
⑦悪行をなしても悪をたのんでおごりたかぶる「邪慢」
◯百八
・除夜の鐘の数108。
・僧侶が葬儀用に使う数珠の珠の数108。
・精神統一を表す語の一つに「三昧」というのがあるが『大般若経』『大智度論』には、108の三昧が列挙されている。
・108は煩悩の数を上げたものであるとされるが、その数え方は様々。
①眼・耳・鼻・舌・身・意という6つの感覚器官が、色・声・香・味・触・法という6つの対象を把握するとき、好・悪・平(非好非悪)の3があり18となる。その一つひとつに染・浄の2つがあって36となる。これに、過去・現在・未来の3つがあって108の煩悩がある。
②6つの感覚器官に、快楽(楽)・不快楽(苦)・どちらでもないもの(捨)の3種類があり18。また6つの感覚器官に、好・悪・平の3種類があり18。合わせて36。これに過去・現在・未来の3つがあって108。
③倶舎宗では、真理を誤認することなどから生ずる観念的な迷い(見惑)88種類、生まれながらにして持っている煩悩で修行によって除く迷い(修惑)10種類、これに10種のまとわりつく煩悩(纏)を加えて108。
◯中道
・中道の語源はサンスクリット語では、「真中の道」「真中の方法」などを意味する言葉。両極端のいずれにも偏しない中正の道のこと。
・中道とは具体的に何を指すのかといえば「八正道」
①正見:正しいものの見方
②正思:正しい考え方
③正言:正しい言葉
④正業:正しい行為
⑤正命:正しい生活
⑥正精進:正しい努力
⑦正念:正しい反省
⑧正定:正しい精神統一
・要するに決して極端に陥ることなく、調和のとれた努力を続けていけば、ニルヴァーナに達することができると教えてたもの。
◯三昧
・三昧の語源は、サンスクリット語で「(心を一箇所に)まとめて置く」。要するに、精神を一つの対象に集中して散乱させないことをいう。
・インドでは、宗教的理想(解脱)を実現する方法として、様々な方法が考えられてきたが主なものは次の3つ。
①タパス(苦行):肉体を苦しめる方法
②パクティ(信愛):個人的意欲を放棄して神の恵みに全てを任せる方法
③ヨーガ:精神統一の方法
◯六根清浄
・人間は諸感覚器官によって外界の対象を受容する。
・六根とは、①眼根、②耳根、③鼻根、④舌根、⑤身根、⑥意根。根とは樹木の根が外界の養分を吸収する器官であると同時に枝葉を成長させる力を有しているように、感覚器官が外界の対象を受け入れ、知覚を生ずる力を有しているところから「根」と訳されたのであろう。
・人間は、六根という門を通じて外界の対象をとらえ、経験を積み重ね、次第に人格を形成していく。したがって、六根は人間の生活を基礎付けるもの。
・六根を磨き、清めることは、人間性を向上させることにつながると見ることができる。「六根清浄」は、六根を清めることであり、それは内面的な方法(州それは内面的な方法(宗教的信仰や修行)によって実現される。
・日常生活を全く陰りなく、清らかに過ごすことは、甚だ困難なこと。どうしても嫌なことを聞いたり、考えたりする。これを積み重ねていると、次第に六根が汚れがたまってくるのを避けられない。汚れに染まると、なかなか落としにくくなるので、それを払い落とし、清めることが勧められる。
108の煩悩については、内訳があることを初めて知りました。この内訳に従って、一つ一つ考えてみると、いい現状認識になりそうです。ここは探究心をそそられます。