空海かぞえ24歳の時の著書です。空海の思索は、『三教指帰』に始まり、57歳で著した『秘蔵宝鑰』で帰着したと言われ、本書はスタートの一冊になります。物語形式で、普通の煩悩に溢れた人に対し、儒家、道家が教えを述べ、最後に空海を模した登場人物が儒教も道教も仏教の一部に過ぎないと仏教の教えを説きます。ボリュームも100ページほどなので、さっと読めます。
【本書の学び】
①およそものの情(こころ)は1つに固定してはいない
②釈尊、老子、孔子の教えの1つに入っていれば、人の道に外れてはいない。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「無常の賦(上)」より
・人間を構成しているという五蘊(色・受・想・行・識、身体と心の5つの要素)などはあてにならないもので、水面に映った月影と同じです。肉体を構成するという地水火風の4元素もあてにならないもので、かげろうのようにはかないもの。
・十二因縁という、人生を織りなす連鎖によって、私たちの心は、猿が欲望のままに飛び回るように、いつも無明(まよい)によって動かされています。また、四苦・八苦の苦しみによって私たちの心の奥はいつも悩まされ続けている。
◯「生死海の賦(下)」より
・生死の海を乗り切るには、彼岸に到るための6つの行い(六波羅蜜)という筏を整備して出発いたしましょう。あるいはまた8つの正しい生き方である(八正道)という大船に乗って船出しましょう。これにつとめ励みの(精進)という橦(ほばしら)を立て、心の静けさの(禅定)という颿(ほ)をあげて進みましょう。前途には多くの障害や抵抗がありましょうが、耐え忍びの(忍辱)の鎧を被て、群がる賊を倒していき、(智慧)の剣で威力を示していきましょう。さらに悟りに至るための修行である(七覚支)という馬に策(むち)を当て、人々の溺れ惑う広野を速やかに踏み越え、世俗を超えるための修行である(四念処)という輪(くるま)に乗って、俗界を高く乗り越えて進みましょう。
◯「十韻の詩」より
・太陽や月が輝いて、夜の闇を破りさるような3つの教えは人々のくらい心を取り除いてくれます。人々の性質が多種多様だから、心の闇を除く医王も、病に応じて薬や鍼の用い方を変えていきます。
・君子・父子・夫婦の(三綱)、仁・儀・礼・智・信の(五常)の道は孔子によって述べられました。これを習う者は槐林(だいがく)へ通います。
・変転を解く道教は、老子によって授けられました。これを伝える者は道教の寺院の道観へ臨(い)って学びます。
・金仙(ほとけ)の説かれた一乗の教え、人生はすべて、仏の光を浴び仏に向かって歩むところにその意味がある、という教えは、教理も利益も最も奥深いものです。自らも他をも、兼ねて利益し済度します。獣や禽(とり)たちも例外ではありません。春の花はやがて枝の下に散り、秋の露は儚く葉の上で沈(き)えていきます。
・逝く川の流れは常に流転して住(とど)まることがありませんし、急風(つむじかぜ)は幾たびか、音立てて過ぎかつ消えていきます。このように六塵(色・声・香・味・触・法)の世界はすべて無常であり、人々を溺らせる「迷いの海」であり、常・楽・我・浄という4つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、彼岸にそびえる目標の岑(みね)なのです。
・すでに三界(このよ)は私たちの真の自由をさまたげる束縛であることがよくわかりました。冠のひもや簪(かんざし)で象徴される官位など、捨て去らないで良いものでしょうか(自分は官界に入ることを望まず、むしろ世俗を超えた仏法に身を投ずる決意である、という空海青年の内心を示した結句である)
個別の著書に入ると一気に難しくなって、正直読んでいても「どういう意味だろう?」の連続で、読み終えても、最後まで文字を追ったに過ぎない状態です。この意味がわかってくるのは、もっと時間が経ってからになると思いますが、今の読んでもよくわからない状態も、いつかわかるための必要なステップと捉え、まずは良しとして次に進むことにしたいと思います。
空海「三教指帰」―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)
- 作者: 加藤純隆,加藤精一
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2007/09/22
- メディア: 文庫
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