『栗山ノート』(栗山英樹)(◯)
日本ハムファイターズ監督である著者。読書家でもあり、表紙に続く巻頭カラーページには、書棚にある大量の本が印象的です。本書は、『論語』などの東洋哲学の言葉とともに、その考え方を実践の場でどのように活かしているかということが紹介されています。取り上げられている書物の幅広さを取っても、相当読書されていることがわかります。私も好きな『論語』、『孟子』、『中庸』などの四書五経のほか、佐藤一斎さん、安岡正篤さんといった日本の思想家からも多数引用されています。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯野球ノート
・野球ノートは、『四書五経』などの古典や経営者の著書から抜き出した言葉で埋め尽くされている。その日起こった出来事をどのように受け止めるのかを考えると、古今東西の先人や偉人が残した言葉が浮かび上がってくる。もはや野球ノートというよりも、人生ノートといったほうがいいかもしれない。
◯「君子は諸(こ)れを己に求め、小人は諸れを人に求む」(『論語』)
・人の役に立つような行いをする人は、なすべきことの責任は自分にあると考える。自分本位の考えを持つ人は、責任を他人に押し付ける。
・敗戦を選手に押し付けない。ミスを選手の責任にしない。監督就任から行動規範としてきたことですが、この『論語』の言葉を読み返した時、自分への疑問が湧き起こった。「お前は本当に選手を信じているのか?」
◯「すべて形式に流されると、精神が乏しくなる。なんでも日々新たにという心がけが大事である」(渋沢栄一)
・去年までがこうだったから、今年も同じやり方にしようと無条件に決めるのではなく、違った角度からアプローチすることも大事。
・想定通りに進む試合は実はほとんどない。常に想定外を予想し、瞬間的に判断を下していく攻防が終わると、全身に張り付くような疲労が襲ってくる。
◯「性は相近し、習えば相遠し」(『論語』)
・人の性質は生まれたときにはあまり差はないけれど、その後の学習や教育によって次第に差は大きくなる。学びに終わりはなく、学び続けなければ成長はない。
・その日の試合や人との触れ合いから何を感じ、どんな行動をとったのか。1日だけでなく、2日、3日、10日と反省を積み重ねることで、自分を成長させていきたい。
◯「時なるかな、失うべからず」(『書経』)
・チャンスを逃さないということですが、ノートに書くということは、自分の行動を見つめ直し、課題を抽出することに結びついていく。来るべき「時」に備えて準備を進めていると理解できる。
◯「君子は能く時中す」(『中庸』)
・成果を上げるリーダーはいつ何時もふさわしい手を打ち、あらゆる相克を乗り越えてどこまでも進歩、向上していく。
・目の前の試合で勝利を目指し、シーズンが終わった時に日本一になることを目指している。刹那の戦いに生きているわけだが、一方で「この選手は3年後にどうなっているだろう、あの選手は5年後にどこまで成長しているだろう」といった視点を持っていないと、判断を誤ると思っている。
◯「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」(『論語』)
・知恵のある者は、ことをなすにあたって迷いがない。人の徳がある者は何事にも心配することがない。真の勇気がある者は、恐れることがない。
・蓄積した知恵を総動員して、これまでの試合から学んだものを有効活用して、想像を働かせて、相手の予想を上回る戦略を描き出す(知者は惑わず)。
・監督として能力がないと思われたくない、自分の評価を落としたくないという憂いを取り除くと、「ここは相手が上かもしれないけれど、こうやって戦えばその部分を捉える」という発想が生まれてくる(人者は憂えず)。
・勝算の薄い戦いに玉砕覚悟で挑むのではなく、失敗すること、負けることの怖さを知った上で志を貫く。自分が指揮する組織の目標達成に全力を注ぐ(勇者は懼れず)。
◯「人は必ず陰徳を修すべし」(『正法眼蔵随聞記』)
・陰徳とは誰かに気づいてもらう、知ってもらうことを目的としない善い行いを指す。報酬や見返りを求めない善行。
・私たちが最も自然に、なおかつすぐにできる陰徳は、感謝の気落ちを抱くこと。
◯「乃知玄徳己深遠」(『凌雲集』)
・「明徳」は正しく公明な徳で、木に例えるならミキであり枝であり、花や葉。「玄徳」は外には見えないけど大きな働きをする徳。植物の根っこの部分にあたるもの。
・徳は教えられることも、習うこともできない。自分で高めていくもの。
ちょうど、「五徳を高める」というテーマのコンテンツを作っているところで、本書に出会いました。どのようにコンテンツを作っていこうか?と壁に当たっていましたが、本書を読んでいるうちに、コンテンツがダウンロードされてきて、一気に仕上がりつつあります。栗山監督の学びと実践のサイクルが、私の波長ともあったようで、とても感謝する結果に繋がりました。