MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

中庸に学ぶ(伊與田覺)

『中庸に学ぶ(伊與田覺)』

 四書五経の四書の一つである『中庸』。孔子の孫にあたる子思が孔子の教えをまとめたとされる『中庸』は、自己を完成させていく上で最も優れた書物だと言われています。本書は、昭和を代表する東洋哲学の大家である安岡正篤さんに師事され、90歳を超えなお現役で活躍されている著者が、致知出版社で著者が4回に分けて講演された内容をまとめた一冊です。『中庸』の重要箇所がわかりやすく解説されており、とても読みやすい内容です。末尾には、『中庸』全文も掲載されています。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯天命を知る

・「天の命ずる之を性と謂い、性に率(したが)う之を道と謂い、道を修むる之を教(おしえ)と謂うなり」

⇨「天」とは、声もなく臭いもない、我々が単なる表面的感覚器官では捉えられないもの。言葉や姿がなくても必ず「天」の力が働いている。知識がなくても生き物は日々、成長していく。「天」とはそういうもので、ものは言わないけど存在はしている。「てん」を理解することは『中庸』のカギ。

 

◯「命」

・「命」には2つの意味がある。一つは「命令」という意味。もう一つは「働き」という意味。命ある限り誰もが何らかの働いをしている。

 

◯「性」

・天の命令、働きによって生じるものが「性」。

・私たちは天の命じるところにより、この世に生を受けてくるのですが、こうして生まれる万物には、それぞれ特性がある。それはすでに天によって生まれながらに定められたもの。

・人間は一人一人が皆違う、代替のきかない絶対的な存在。それぞれが人間として完成するためには、天から与えられた性を十分に育てて向上させ、発揮する必要がある。それができた時に初めて人間として完成されたと言われる。

・人間は皆が同じになるとは限らない。同じように努力しても、皆が違った人間になっていく。それは性(特質、個性、使命)が違うから。「自分はどのような性を天から与えられているか」。これを知り、自覚することが実は人が生きていく上でとても大切なこと。

 

◯「道」

・「道」とは目標に到達するためのいわばルール。

・この道を外れた生き方をすれば、まっとうな人生を歩むことができなくなる。

・我々は天によって作られたものですから、ルールも天が作ったもの。それを踏んでいかないと、性は発揮されない。

・天にはルールがあり、これを「天童」という。さらに地にも地のルールがあり、これを「地道」と言ってもいいのだが、中国人はこれを「理」と呼んだ。

・「理」というのは、もともと玉野筋目のこと。それぞれの玉には筋目があり、それによって玉の種類が変わっていくという意味。

・天の道、地の道を合わせて「天理」というもの。一般的には「天道地理」と言い、ここから「道理」という言葉が生まれた。

・人間にも「道理」にかなった人としてのルールがある。これを「義」という。

・自分自身のルールもよくわからない中では、天のルールもなかなか見つかるものでもない。そこで、人間はまず、自分とはどういう人間かをじっくり観察することから始めた。次にそんな自分をどのようにして完成したらいいかというルールが出てきた。

 

◯「覚(さと)る」

・自分自身にはどの道が一番適当であるかを知り、自ら納得しなければ次に進めない。これを「覚る」という。知識の積み重ねを「学ぶ」とすれば、学んだ知識が自分の中で納得でき、理解できる。これを「覚る」という。

・学ぶだけではなく覚り、納得、理解しなければ、天から与えられた道を歩んでいくことにはならない。「覚」という字は冠の下に「見」と書くが、自分で見てちゃんと確かめるという意味。

 

◯正しい道を歩むためには

・「道なるものは、須臾(しゅゆ)も離る可からざるなり。離る可きは道に非ざるなり」

⇨道というものは、少しも離れることはできない。離れていいような問題のないものは、それは本当の道ではない。須臾とは、暫くという意味。

 

◯「慎独」

・誰も見ていないところでも、自身を戒め慎んでいる。誰も聞いていないところにおいても恐懼(きょうく)すと言っている。恐れおののいて、その道から外れないように、正しい道を踏んでいくということ。人間をうっかりすると道を踏み外す。そこで常に恐れ慎むことが大切。

・誰も見ていないところで、隠れて「まぁ、これぐらいはいいだろう」と手を抜くと、やがてそれが積み重なって、思いがけない時に、ポット外に現れる場合があるということ。ポット出てきた時の反動というものは非常に大きい。

 

◯「中」

・「中」は無心=「空」の状態。人生は喜怒哀楽の4つに尽きるが、平生は喜怒哀楽が発していない、それが「未だ発せざる」。「中」という字は「無」と言ってもいい。この無職の状態が「中」。「中」というのは、形の上から言ったら何もない、すなわち無心、空の状態のこと。

・「心を正しうす」ということが『中庸』でいう「中」にあたる。心のうちが正しければ、外に発せられる意識や感情より純粋に正しいものになり、逆に純粋な誠の意識を持てば、自ずと内なる心も正しくなる。

・中和を極めていくことによって、「天」と「地」がそれぞれの域を持ちながら、よく中和して、すべてのものが生成し、発展していく。

 

◯「至誠」

・「至誠」こそが、『中庸』を貫く精神。「至誠」というのは天の働き。至誠を体している人と、そうでない人とでは、あらゆる面で大きな差が出る。

・「誠」は天の道だから、真に誠の人は、特に勉強(努力)しなくても、すべて道にあたり、思索しなくても正道を得ることができる。

 

◯博く学び、篤く実行する

・一見『中庸』というと「なかごろ」と解釈しやすいのですが、実はその中で、それぞれにおいて徹底的に突き詰めいていくとが大切であると言っている。

・「博く之を学び、審(つまびら)かに之を問い、慎んで之を思い、明らかに之を辨じ、篤く之を行う」

⇨博く学び(=博学)、不審な点は詳しく問い(=審問)、慎んでこれを思い・考え、明らかに是非を分別し(=明弁)、その正道を実行するということ。

 

◯諦めなければ必ず道は拓く

・「人一たびして之を能くすれば、己之を百たびし、人十たびして之を能くすれば、己之を千たびす「

⇨他人が一回でできることが、自分にはなかなかできなければ、私はこれを繰り返し100回行い、百倍の努力をする。他人が10回でできることを自分ができなければ、千回努力する。

・努力してこの道を習得すれば、たとえ愚かなものであっても必ず聡明に物事をはっきり知ることができる。自分には能力がないと言って諦めるのではなく、懸命に努力すれば必ず道は拓けてくる。

 

 『論語』『大学』『小学』『中庸』と中国古典シリーズを読んでいるところですが、いずれも現代にも通じる普遍の真理をついた名言であり、焚書坑儒(思想弾圧)を乗り越えて現代に引き継がれてきただけあって、どれも深い学びと内省につながります。2019年はこの領域を深めていきたいと思います。

「中庸」に学ぶ

「中庸」に学ぶ

 

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