『原始仏典 長部教典I(第1巻)』(監修:中村元)④(◯)
原始仏典シリーズ第1巻(全部で19巻あります)。続きです。
(印象に残ったところ・・本書より)
【ジャーリヤ経】
◯概要
・マハーリ経の後半と内容が一致する。霊魂と身体は同じものか質問されるが、ブッダは霊魂と身体が同じであるとする立場も、別であるとする立場も、ともに退ける。
◯気を落ち着けること、正しく自覚すること
・修行僧はどのようにして気を落ち着けること(正念)と正しく自覚すること(正知)を身に付けるのでしょうか。
・修行僧はいく時も帰るときにも、正しく自覚して行動します。前を見るとき、後ろを見るとき、手足を伸ばすとき、縮めるとき、大衣・鉢・法衣を身につけるとき、食べるとき、飲むとき、噛むとき、飲み込むとき、排便・排尿をするとき、そのときには、正しく自覚して行動します。
・歩くとき、立ち止まるとき、座るとき、目覚めたとき、語るとき、黙っているとき、そのときには、正しく自覚して行動します。
・このようにして、修行僧は気を落ち着けることと正しく自覚することを身につける。
◯5つの蓋いを捨て去ること
①世間に対する貪欲を捨てる
貪欲のさった心を持って過ごし、貪欲から心を清める。
②嫌悪と憎しみを捨てる
嫌悪の亡くなった心を持って過ごし、すべての生きとし生けるもののために、同情して、嫌悪と憎しみから心を清める。
③ものうさとのんびりした鈍さを捨てる
はっきりとした意識を持ち、気を付けて、正しく自覚をして、ものうさとのんびりした鈍さを離れて過ごす。
④心の浮わつきと後悔を捨てる
心の内側で、心が平静となった修行僧は、心の浮わつきと後悔から心を清める。
⑤疑うことを捨てる
正しい教え(法)について、疑いの亡くなった修行僧は、疑いから心を清める。
◯鏡とホクロの例え
・例えば、男と女、少年やおしゃれな若者が、よく磨かれてくもりのない鏡、あるいは澄んだ水をはった容器に、自分の顔を映してみるとき、ホクロがあれば、ホクロがあることを知り、ホクロがなければ、ホクロがないことを知る。
・それと同じように、このようにして心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れのない、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、そのもの自身が堅固不動なものになると、他人の心のありさまを知ること(他心通)に心を傾け、心を向ける。そして、他の生き物、他の人々の心のありさまを心でとらえて知る。
◯十字路の家の例え
・十字路の中央に家があり、そのテラスに眼のいい人が立って、家に出入りする人々を、あるいは、車道や歩道を往来する人々を、十字路の真ん中に座っているのをみるとする。その人はこう考える。「あの人たちは家に入っていく、あの人たちは家から出ていく。あの人たちは車道や歩道を往来している。あの人たちは、十字路の真ん中に座っている」と。
・まさにそれと同じように、このようにして心が安定し、清浄となり、浄化れた、汚れのない、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、そのもの自身が堅固不動なものになると、生き物たちの死と生について知ること(死生通)に心を傾け、心を向ける。
この第1巻では、①〜④まで4回に分けて掲載した内容が繰り返し登場します。大切なことは何遍でも繰り返す。繰り返されているところこそ、本質。この①〜④がどのように関連してつながっているか、改めて整理してみたいと思います。ここから日常生活と結びつけていくと、新しいコンテンツ開発にもつながっていきそうです。