原始仏典 長部教典I(第1巻)(監修:中村元)①
『原始仏典 長部教典I(第1巻)』(監修:中村元)①(◯)
原始仏典シリーズ第1巻(全部で19巻あります)。本文だけで580ページのボリューム。原始仏教とは、ゴータマ・ブッダ(釈尊)自身の時代およびそれに続く弟子たちの時代、およそ紀元前3世紀ごろまでの時代の仏教のことです。『原始仏典』全7巻は『ディーガ・ニカーヤ』(長部教典)と『マッジマ・ニカーヤ』(中部教典)の全訳。第1巻では、13教典が収められています。
(印象に残ったところ・・本書より)
【梵網経】
◯概要
・前半は「戒」、すなわち正しい生活習慣を説く(小さな戒、中戒、大きな戒)
・「小さな戒」は、生き物を殺さないこと(不殺生)、盗みをしないこと(不偸盗)、異性と交わらないこと(不非梵行)という3つの清浄な身業と、嘘をつかないこと(不妄語)、中傷しないこと(不両舌)、荒々しい罵り言葉を言わないこと(不悪口)、つまらぬ冗舌を言わないこと(不綺語)という4つの清浄な語業と、大八として清浄な生活方法を説かれる。
・「中戒」は、「小さな戒」のなかの第八の清浄な生活を一層詳細に説明したもの。
・「大きな戒」では、出家者が避けるべき邪悪な職業、邪悪な遊戯が網羅されている。
・後半は、常住論に始まり現法涅槃論に終わる62の見解が説かれる。
・これらの見解は、存在の本質についての何らの知的判断でもなく、渇愛に囚われた者の感覚期間と対象との接触(触)から生じてくる感受(受)に過ぎない。この感受(見解)により愛着が起こり、愛着より固執(取)が起こり、固執から生存(有)が起こり、生まれること、老いること、死ぬこと、悲しみ、嘆き、悩みが起こる。如来はこれらの見解の生じてくる原因と消滅させる道とを知っているから如来はこれらの見解を越えていると説く。
◯小さな戒
・生き物の殺生、盗み、清らかならざる行為、嘘、中傷する言葉、粗暴な言葉、つまらぬ冗舌、種子類や草木類を損なうこと、時ならぬ時の食事、踊りと歌と楽器の観覧、花飾りと香料と塗油を装着し撒飾すること、大きな寝具と華美な寝具、金銀を受納すること、調理していない生の穀物を受納すること、調理していない生の肉を受納すること、夫人と少女とを受納すること、男女の奴隷を受納すること、山羊と羊を受納すること、鶏と豚を受納すること、象と牛と馬と騾馬とを受納すること、田畑と宅地を受納すること、使者や使い走りの仕事、賄賂と詐欺と偽物で騙すという邪悪な行い、斬ること、殺すこと、縛ること、待ち伏せすること、掠め取ること、強奪すること
◯中戒
・種子類や草木類を損なうこと(信によって与えられた食)、貯蔵物を教授すること(食べ物、飲み物、衣服、乗り物、寝具、香、美味な食べ物)、見せ物を見ること、賭事という放逸の原因、大きすぎる寝具と華美すぎる寝具、装飾品で着飾ることの原因の実行、無益な話、論争、使者や使い走りの仕事、詐欺と虚言
◯大きな戒
・無益な呪術
(占いや呪文、◯◯の相、「王たちは進軍/退却するだろう」という見立て、月と太陽の暗示、豊作・飢饉などの天候にまつわる予想、吉日・凶日、願掛けなど)
◯62種の見解
■過去の限界
・常住論(4つの根拠)
・有限無限論(4つの根拠)
・一部常住一部無常住論(4つの根拠)
・詭弁論(4つの根拠)
・無因論(2つの根拠)
■未来の限界
・死後有我有想論(16の根拠)
・死後有我無想論(8の根拠)
・死後有我非有想非無想論(8の根拠)
・断滅論(7つの根拠)
・現世での涅槃(5つの根拠)
◯常住論(沙門・波羅門の主張)
・4つの根拠により我と世界は常住であると主張する。
①苦行、精勤、繰り返しの実習により、不放逸により正しく心を対象に向けることにより、心が集中したとき、ひとつの「生涯」も、二つの「生涯」も、三つの「生涯」も・・・というように、種々の前世の生存を追想する心の統一(定)を体得する。これにより我と世界は常住であり、生み出さず、山頂のように不動であり、石柱のように不動である。生けるものは流転し輪廻し、死に、再生するが、永久に存続すると知る。
②苦行、精勤、繰り返しの実習により、不放逸により正しく心を対象に向けることにより、心が集中したとき、ひとつの「消滅の劫と生成の劫」も、二つの「消滅の劫と生成の劫」も、三つの「消滅の劫と生成の劫」も・・・というように、種々の前世の生存を追想する心の統一(定)を体得する。これにより我と世界は常住であり、生み出さず、山頂のように不動であり、石柱のように不動である。生けるものは流転し輪廻し、死に、再生するが、永久に存続すると知る。
③苦行、精勤、繰り返しの実習により、不放逸により正しく心を対象に向けることにより、心が集中したとき、十の「消滅の劫と生成の劫」も、二十の「消滅の劫と生成の劫」も、三十の「消滅の劫と生成の劫」も・・・というように、種々の前世の生存を追想する心の統一(定)を体得する。これにより我と世界は常住であり、生み出さず、山頂のように不動であり、石柱のように不動である。生けるものは流転し輪廻し、死に、再生するが、永久に存続すると知る。
④沙門・波羅門は理論家であり、推論者である。彼は理論に冒され、推論に追随して、自ら弁じて「我と世界は常住であり、生み出さず、山頂のように不動であり、石柱のように不動である。いけるものは流転し輪廻し、死に、再生するが、永久に存在する」といった。
◯断滅論(沙門・波羅門の主張)
・7つの根拠により、生ける者が断滅し、消滅し、滅亡する。
①「この我は物質的要素からなり、四つの大きな要素からなり、母と父から生まれ、身体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
②「ほかに天の世界の存在であり、物質的要素からなり、欲望の支配する領域に属し、食べ物によって養われる我がある。体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
③「天の世界の存在であり、物質的要素からなり、意によって成り立っており、すべての肢体を備えており、優れた感官を持っている他の我がある。体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
④「物質についての想念を完全に越えて、相互不加入性を消滅して、それぞれに異なっているという想念を心に思わず、空間は無限であるという空間の無限を観ずる境地に到達した他の我がある。体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
⑤「空間の無限を観ずる境地を完全に越えて、意識は無限であるという、意識の無限を観ずる境地に到達した他の我がある。体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
⑥「意識の無限を観ずる境地を完全に越えて、何ものも存在しないという、何ものも存在しないと観ずる境地に到達した他の我がある。体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
⑦「何者も存在しないと観ずる境地を完全に越えて、これは寂静であり、これはすぐれていると心理作用(想)があるのでもなく心理作用がないのでもないという境地に到達した他の我がある。体が壊れた後、断滅し、消滅し、死後には存在しない。このようにしてこの我は完全に消滅する」
これは難しい世界ですが、特に「戒」については、第1巻を通じて何度も繰り返し出てくるので、ここは重要箇所。62種の見解は、よくわからないものも多く、まとめるだけでも何度もページを行ったり来たり。先が長そうです。