『原始仏典 長部教典II(第2巻)』(監修:中村元)②(◯)
ボリュームがあり、内容も濃いため分割してまとめています。今回は、「大縁方便経」。大本経で語られた縁起(※)の詳説に加え、無我の教えとの関連も示される重要教典。本経では、①縁起、②無我、③七識住・二処・八解脱の3つの主題から成り立つ。
(※)生存⇨執着⇨渇愛⇨感受⇨接触⇨名称と形態⇨「識別作用」⇨名称と形態⇨接触⇨感受⇨渇愛⇨執着⇨生存
(印象に残ったところ・・本書より)
◯渇愛をめぐる別の因果系列
・感受に依って渇愛があるが、成立要件の別の因果系列として、
渇愛に依って「求めること」があり、
求めることによって「(物を)得ること」があり、
物を得ることに依って「(価値を)判断すること」があり、
価値を判断することに依って「物を得ること」があり、
物を得ることに依って「(価値を)判断すること」があり、
価値を判断することに依って「熱望し貪ること」があり、
熱望し貪ることに依って「愛着すること」があり、
愛着することに依って「握って離すまいとすること」があり、
握って離すまいとすることに依って「愛着すること」があり、
愛着することに依って「握って離すまいとすること」があり、
握って離すまいとすることに依って「物惜しみすること」があり、
物惜しみすることに依って「(所有を)守ること」があり、
所有を守ることの結果として、棍棒や武器に訴えること・争闘・諍い・争論・喧嘩・告げ口・虚言という、たくさんの悪しき不善なる諸現象が出現する。
◯七つの識別作用の住するありさま
①相違した身体を有しつつ、相違した想いを有する生ける者たちが存在する
②相違した身体を有しつつ、同一の想いを有する生ける者たちが存在する
③同一の身体を有しつつ、相違した想いを有する生ける者たちが存在する
④同一の身体を有しつつ、同一の想いを有する生ける者たちが存在する
⑤まったく完全に色かたちの想いを越え、物的抵抗感の想いが消えた、相違した想いを思考しない、「虚空は無限である」としって虚空の無限の領域(空無辺処)という禅定の境地に至った、そのような生き物たちが存在する
⑥まったく完全に虚空の無限の領域という禅定の境地を越え、「心識は無限である」と知って、心識の無限の領域(諸無辺処)という禅定の境地に至った、そのような生き物たちが存在する
⑦まったく完全に心識の無限の領域という禅定の境地を越えて、「なにものも存在しない」と知り、なにも存在しない領域(無所辺処)という禅定の境地に至った、そのような生き物たちが存在する
◯二処
①想いを持たない生き物たちの領域(無想有情処)
②想いがあるのでもなく、想いがないのでもない領域(非想非非想処)
◯八解脱
①内面で色かたちの想いをもつ者が、外界にさまざまな色かたちを目で見る。この行を修すること。
②内面で色かたちの想いをもたない者が、外界にさまざまな色かたちを目で見る。この行を修すること。
③「浄らかである」とのみ見て、自発的に確信した者となる。この行を修すること。
④まったく完全に色かたちの想いを越え、物的抵抗感の想いが消え、相違した想いを思考しないために、「虚空は無限である」と知って、虚空の無限の領域という禅定の境地を体得したのち、そこに住する。
⑤まったく完全に虚空の無限の領域という禅定の境地を越えてゆき、「心識は無限である」としって心識の無限の領域という禅定の境地を体得したのち、そこに住する。
⑥まったく完全に心識のという禅定の境地を越えてゆき、「なにものも存在しない」と知ってなにも存在しない領域という禅定の境地を体得したのち、そこに住する。
⑦まったく完全になにものも存在しない領域という禅定の境地を越えてゆき、想いがあるのでもなく、想いがないのでもないという領域という禅定の境地を体得したのち、そこに住する。
⑧まったく想いがあるのでもなく、想いがないのでもないという領域という禅定の境地を越えてゆき、あらゆる想念およびあらゆる感受されたものの消滅した状態(想受滅)を体得したのち、そこに住する。
言葉だけでは難しい感じもありますが、整然と並んだ言葉には因果関係を明確にする論理的な側面が見られます。このつながりを認識して置くことが日常に役立たないかと考えさせられる内容でした。