名著中の名著です。官僚経験があり、実業家の著者がバイブルとされている『論語』と実業が結びついた世界観。江戸から明治に変わる時代に、「和魂漢才」という菅原道真の言葉を文字って「士魂商才」と唱え、武士の精神のみで商才がなければ経済的に自滅する。士魂にして商才でなければならない。その商才も元はと言えば道徳を根底としたものであって、道徳は「和魂漢才」のように中国、特に儒教の世界にその本質があり、その根本が『論語』ということで、『論語』と実業が結びつきます。著者は、『論語』に関しては『論語講義』(957頁、15,000円(税抜き))という壮大な書物を遺されており、その深さは半端ないものがあります。本書は、文庫本にして約300ページと比較的読みやすいので、お勧めです。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「視・観・察」を持って人を識別する
・「子曰く、その以(もち)いるところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞ痩(かく)さんや」(『論語』)
・視は、その人の外部に顕れた行為の善悪正邪を相す(単に外形を視る)
・観は、その人の行為は何を動機にしているものかを診る(外形よりもさらに立ち入ってその奥に進み、肉眼のみならず、心眼を開いて観る)
・察は、その人の安心はいずれにあるや、その人は何に満足して暮らしている屋を知ることにすれば、必ずその人の真人物が明瞭になる。
⇨いかに外部に顕れる行為が正しく見えても、その行為の動機になる精神が正しくなければ、その人は決して正しい人であるとは言えぬ。
◯蟹穴主義(分相応)
・人は出処進退が大切。
・何を見るにも誠意を持つ、忠恕一貫の思想でやりとおす修身の一事に尽きる。箸の上げ下ろしの間の注意にもその意義が含まれている。
・次に自分を知ること。自分の分を守ることを心がける。実業界に穴を掘って入ったのだから、今さらその穴を這い出すこともできないと思って、大蔵大臣や日銀総裁の誘いも固く辞した。
・必ず己が文を忘れてはならぬ。「心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」(『論語』)。つまり、分に安んじて進むのがよかろうと思う。
◯大立志と小立志の調和
・立志の当初最も慎重に意を用うる必要がある。その工夫としては、まず自己の頭脳を冷静にし、しかる後、自分の長所とする所、短所とする所を精細に比較考察し、その最も長ずる所に向かって志を定めるが良い。
・またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否や深く考慮することも必要。
・これならばいずれから見ても一生を貫いてやることができるという、確かな見込みの立った所で、初めてその方針を確定するが良い。しかるにさほどまでの熟慮考慮を経ずして、一寸(ちょっと)した世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
・小さな立志とは、根幹となる大なる立志に対し、その枝葉となるもの。どうかして、その希望を遂げたいという観念。その要件は、どこまでも一生を通じての大なる立志に悖(もと)らぬ範囲において、工夫することが肝要。つまり、大なる立志と小なる立志と矛盾するようなことがあってはならない。この両者は常に調和し、一致することを要とする。
・「十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・」(『論語』)
・「窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」(『孟子』)
⇨困窮したときは自分のあり方をしっかりとさせ、地位を得たときも自分だけでなくて世人のあり方もしっかりとさせる。
◯常識
・智・情・意の三者が均衡を保ち、平等に発達したものが常識。換言すれば普通一般の人情に通じ、よく通俗の事理を解し、適宜の処置をとりうる能力。
・智は、物の善悪是非の識別ができぬ人や、利害得失の鑑定に欠けた人であるとすれば、その人に如何ほど学識があっても、善いことを善いと認めたり、利あることを利ありと見分けをして、それにつくわけに行かぬから、そういう人の学問は宝の持ち腐れに終わってしまう。
・情は不権衡を調和していくもの。人間界から情の分子を除却したら、どういうことになろうか。何もかも極端から極端に走り、ついには如何ともすべからざる結果に逢着しなければなるまい。情の欠点は、最も感動の早いものであるから、悪くすると動きやすいようになる。人の喜怒哀楽愛悪欲の七情によりて生ずる事柄は、変化の強いもので、心の他の部面においてこれを制裁するものがなければ、感情に走り過ぐるの弊が起こる。ここにおいてか初めて「意志」なるものの必要が生じて来る。
・動きやすい情を控制するものは、鞏固なる意志より外はない。鞏固なる意志があれば、人生においては最も強味ある者となる。けれども、徒に意志ばかり強くて、これに他の情も智も伴わなければ、ただ頑固者とか強情者とかいう人物となり、不理屈に自信ばかり強くて、自己の主張が間違っていても、それを矯正しようとはせず、どこ迄も我を押し通すようになる。
◯習慣の感染力と伝播力
・由来習慣とは、人の平生における所作が重なりて、一つの固有性となるものであるから、それが自ずから心にも働きにも影響を及ぼし、悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は、善人となるといったように、遂にはその人の人格にも関係して来るものである。ゆえに何人も平素心して良習慣を養うことは、人として世に処する上に大切なことであろう。
・また習慣は、ただ一人の身体にのみ付随しているものでなく、他人に感染するもので、ややもすれば人は他人の習慣を模倣したがる。この他に広まらんとする力は、単に善事の習慣ばかりでなく、悪事の習慣も同様であるから、大いに警戒を要する次第である。言語動作の如きは、甲の習慣が乙に伝わり、乙の習慣が丙に伝わるような例は、決して珍しくない。
(良いところが多すぎて書ききれません・・)
本書の存在は知っていて、読もう読もうと思っていたけれど、読まずに現在に至っている方にめちゃめちゃお勧めなのが「中田敦彦のYouTube大学」です(本書の帯も書かれています)。私は読了した後に、このYouTubeを観ましたが、おもしろすぎて、「あれ?そんなこと書いてあったっけ?」という発見もあって、すぐに2回目を読みました。