高野山大学の参考図書。仏陀の生涯を彫刻で辿る、言葉と写真が程よいバランスの一冊です。ブッダの本を読んでいると、なんせ2500年も前の話なので、言葉だけではイメージが湧ききらないところがありましたが、本書を見て、彫刻の写真を通じて、少しイメージが開くきっかけとなりました。ブッダの一生の中で、象徴的な出来事の彫刻の写真とその解説。それを辿っていけば一生をざっと掴めるというお得感がありました。
冒頭のブッダの一生がよくまとまっているので、そこから少し引用してみましょう。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯ブッダの一生(誕生)
・紀元前463年頃(中村元説)、ヒマラヤ参詣を遠望する小国釈迦族の王子として誕生。
・アシタ仙人から「成人になって偉大な王になるか、出家して偉大な宗教家になる」と予言された。
・出家されたくない父王は、何ひとつ不自由のない生活をシッダールタ王子に与える。
・しかし、こっそりと城を抜け出して、太子は城の外の世界に接し、人々の苦しんでいる様子を垣間見る。
・大樹の下に坐し、人生とは何か、どうしようもなく覆いかぶさってくる老病死という人生の苦から抜け出すにはどうすれば良いか、と人生について悩み思索し、瞑想にふける。
・ある夜太子は意を決して、厳重に戸締りされた城を抜け出し、家族を捨てて、財産を捨てて、修行の旅に出た。
◯ブッダの一生(修行)
・隣の強国マガダ国で修行僧の生活に身を投じ、二人の仙人に指導を受け、その後6年間の苦行を行い生死の間を彷徨った。
・公卿のみでは悟りに達し得ないと知り、村娘のスジャータの勧める乳粥を受けた釈尊は、体力を回復し、菩提樹の下で瞑想に入った。魔王マーラの仕掛ける誘惑や攻撃、すなわち人間のありとあらゆる欲望の誘惑に打ち勝って悟りに達し、ブッダとなった。
◯布教活動
・独力で到達した深遠なる法は、他人に説明してもわかるものではないと、一度は説法をためらうが、周囲の強い要請を受けて、釈尊は説法することを決意した。
・最初の説法は、以前から仲間であった五人の比丘を前に、猿なーとの鹿野苑で行った。
・以後45年の間、マガダ国のラジャーグリは(王舎城)を活動の拠点とし、布教に努めた。
◯涅槃
・紀元前383年頃(中村元説)、故国に向かう旅の途中、クシナガラでキノコの食中毒を起こして、死が近いことを知った釈尊は、二本のサラの大木の木陰に床を用意させ、80年の生涯を終えた。
・遺体は荼毘に付され、舎利は分配されて、各地に仏塔が建立され、祀られた。
現在ブッダに関する様々な本を読み漁っておりますが、ようやくなんとなく流れが掴めてきたので、この後は、経典を深める本丸の方に移っていきたいと思います。仏教という宗教に興味があるというより、現代にも活かせるより幸せに生きるヒントを探すことがメインテーマになります。早くアウトプットできるようにこのゴールデンウィークはブッダ週間になりそうです。