高野山大学のレポート作成前の再読。今回はポイントを絞り、レポート課題のところを重点読しました。課題の一つが空海の功績となる出来事を一つ取り上げるというもの。たくさんありすぎますが、わたしは、広く庶民に教育を普及させるための学校、綜芸種智院を取り上げることにしました。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯平安初期の学校
・大宝令に定めるところ、平安京には大学、地方には国学があり、いずれも国立の吏官養成の期間である。これらの学校には何人も志望する者は自由に入学できる者ではなく、一定の入学資格が階級的に決まっていた。
・すなわち、大学の場合には五位以下及び東西の史部の指定に限って入学を許可し、六位以下八位以上の指定の場合には、特別の志願者にのみ許されていた。
・また、地方の国学の場合であると、国司または郡司の師弟にのみ門戸が解放されていた。
◯綜芸種智院開校
・無知な一般民衆の指定たちのために教育の機会均等を与えてやりたいという願いを空海も早くから持っていたようである。一切衆生は全て仏性を持てるものであって人間として平等であることまた貴賤貧富などとは無関係に人間は人間としてすべて尊貴な存在であることこうした真言密教の人間観に基づいての発言であった事は言うまでもないであろう。
・空海に深く帰依ていた1人の藤原三守がこの志あることを知って京都左京九条にある二町あまりの土地と自分の五間の邸宅とを庶民学校設立のために提供したのであった。
◯綜芸種智院の教育理想やその教育の特色
・かねてより人々を教育するために儒教・道教・仏教の三教を教える学校を作りたいと思っていた。
・大唐の長安城には各坊ごとに学者を置いて児童を教育し、また県毎には地方学校を開いて子供たちを導いているので、才子は都に満ち、芸士は国に満ちていると言って入唐留学中にこの目でじかに見てきた大陸の教育制度の実情を伝えている。
・当時は国立私立を問わず、すべて学校は儒教教育をしていたのであるが、空海の場合は、儒教・道教・仏教をはじめインドの諸学科に至るまでことごとくの学問を教授したところに特徴を認めることができよう。
◯まとめ(綜芸種智院の教育の3つの特色)
①教育の機会均等
・空海自身が国学、大学に学び早くから教育に対して深い関心と理解を持っていた
②総合教育
・入唐して長安に学び、先進国の優れた教育機関を目の当たりに見てきた
③完全給費制
・学ぶためには多くの優れた教師が必要であり、先生と生徒との生活を保障することが求められた
教育は一部の特権階級のものであった当時としては画期的な取り組み。そして、高野山開創、東寺建立の流れで、僧が修行する場所、都に近いところで真言宗を普及する拠点を手に入れた空海が次に手掛けたのが庶民向け。平安京に遷都して、まだ30年くらいであった当時、直前まで長岡京でのドタバタや薬子の変など政治が安定していくためには庶民向けの教育普及活動も大事なポイントであったことがわかります。