MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

沙門空海(渡辺照宏、宮坂宥勝)

『沙門空海』(渡辺照宏宮坂宥勝

 高野山大学のレポート作成にあたり読んだ本のひとつ。タイトル通り、空海についてまとめられた一冊で、空海の生涯を辿りながら、歴史的意義についてまとめていくスタイル。後代の文献記録を退け、できる限り根本資料に基づいて空海の求めたものは何であったのか、その求めて歩んだ足跡はどうであったか、そういった問題を中心課題として、その当時の歴史的基準と社会背景とに思いを巡らしながら、空海の姿をなるべく客観的見地に立って描き出されています。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

高野山の下賜を願う上奏文(『性霊集』第九より)

紀伊国伊都郡高野の峯にして入定の処を請け乞ふの表」(詳細略)に関する解説

・この上表文に一通の書状が添えてあるが、それは主殿助布施海宛のもので「高野山雑筆集」に収めてある。それによると、大唐より帰るとき、しばしば漂蕩に遭ったので、一つの小願を立てた。帰朝の日に必ず諸天の威光を増益し国界を擁護し衆生を利済せんがためひとつの禅院を建立して法によって修行しようと思うから、お守りいただきたい、と願ったところ、無事本国に帰ることができた。しかし、それより12年も経ったので、ぜひこの約を果たしたいと思う、と述べている。

・上表文を見ると、第一に唐の仏教界で山岳に寺院が建立されて、そこでは禅観を修する者が多く、ためにすこぶる仏法も盛んである。ところが、我が国では歴朝の援助によって立派な寺院が数多く建立されているけれども、まだ高山深嶺に入って、本当の仏法の修行をする者は稀である。修禅観法の教えが伝わらず、それにふさわしい場所もないからである。深山の平地こそ、修禅に適した場所であると禅経にもある。ところで、わたくしは年若い頃に山谷を跋渉するのが好きで、よく歩いたものであるが、吉野から南へ一日行程、さらに西へ二日肯定ほど行くと、平原の幽地がある。これは紀伊国伊都郡高野というところで、人跡もないところである。そこで、一つには国家のため、二つにはもろもろの修行者」のために、ぜひここに修禅の一院を建立したい。ついてはこの地を開創するにあたって勅許をいただきたいというのである。

・ここに少年の時代に高野山に登ったことがあると追想しているのであるが、少年とは今日でいうところの小さい頃ではなく年少のとき、すなわち若いときと解すべきである。

 

 高野山に行ったことがある方はわかると思いますが、よくこんなところに平安時代に寺院を開いたなというくらい遠く離れた場所で、しかも高地。大阪難波から特急で行けますが、紀ノ川の手前にある橋本から高野山まであとちょっとと思いきや、すごい山岳ルートをゆっくりゆっくり電車が走るので、橋本〜極楽橋までが時間を要し、そこからケーブルカーで高野山まで一気に山を登ります。そこから先はバスでの移動。高野山町に入ると空気感の違いを感じることができます。最近、半年ごとに訪れていますが、頻度を上げたくなる程よいところです。宿は宿坊。精進料理と朝のお勤め、そして、お寺によってアクティビティが異なり、これが魅力でもあります。その高野山がどういう思いで開かれたかという歴史の一端が記されています。

沙門空海 (ちくま学芸文庫)

沙門空海 (ちくま学芸文庫)

 

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