『密教とマンダラ』(頼富本宏)
高野山大学のレポートの参考図書として読んだ一冊。マンダラの世界は奥深く、入り込むとかなりの時間がかかりそうなので、今回は書籍は全体に目を通しつつ、ピックアップしたのは、レポートに必要な箇所だけさらっと。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯マンダラの特徴
①「空間」「領域」「場」などの概念
マンダラとは、一つの点や、それを繋いだ線ではなく、広がりを持った空間である。それであるからこそ、その内と外、つまり聖と俗という異次元の関係が注目されることになり、山伏の山岳修験に顕著な結界のように、人為的に聖界を設定する行為が必要とされる。
②複雑性
たとえば『大日経』をマンダラ化した胎蔵界マンダラでは、中央に本尊の大日如来が位置し、その周囲をカクラサマの仏たちが、様々な働きをしながら取り囲んでいる。いくら本尊の大日如来が見事であっても、それのみで描かれている絵を「マンダラ」と呼ぶことはないであろう。
③中心を持つ
インド・日本・チベットなどいずれのマンダラをとっても、必ず中央に本尊にあたる中心尊格が位置し、その聖なる世界を代表している。
④調和性
マンダラは確かに複雑要素の集合体であるが、万年床の敷かれた下宿のように、勝手気ままに放置されているのではない。この点は、胎蔵界曼荼羅のように、多種多様の尊格が配列される例を考えると理解しやすい。
⇨マンダラは、夾雑物を一切排除して純粋性を追求していくのではなく、逆に多くの異質的要素を包含しながら、しかも全体的には高次の価値観によって調和して成り立つような世界をシンボライズしている。
⑤必ず動的な流れが感じられる
例えば、各々の尊格の姿・形を表現する通常の尊像マンダラでは、原則として中央の本尊が最も大きく描かれ、遠心的に周辺に及ぶに従って、尊格の姿が小さくなる。これは単に形の大きさではなく、仏たちの段階にも自ずと差があることを示している。
⇨価値的には中央の本尊の力が、順に周辺に遠心的に波及するとともに、逆に外周部の神々が内なる本尊に向かって求心的に帰依していく。
⑥交替性
マンダラには確かに多くの仏たちが登場する。それぞれが永遠不滅にそのままであるとするのは、決してマンダラの真意ではないはず。マンダラの中に価値的な順位があることは指摘した通りだが、時としてはローテーションを取りながら、別の性格を持った仏が中尊の座に位置することもありうる。
⑦全体性
たとえ僅かでもマンダラの外周部に不都合が生じたとき、そこだけ切り取って残りは無事という考えはできない。マンダラでは、部分はあくまで全体の一部分であって、部分と全体は表裏一体であることを忘れてはならない。
理論としてのマンダラ、芸術としてのマンダラ、瞑想対象としてのマンダラ、、、マンダラには昔から人を惹きつける魅力があり、今に残っているのだなと実感します。
高野山大学には、マンダラだけで1講座あるので、将来的には受講してみたいなぁと思います。