『アティーシャの知恵の書(下)』(OSHO)
20世紀を代表するインドの思想家OSHO講和録シリーズ。アティーシャとは、チベット仏教の中興の祖。そのアティーシャの教えを解説した一冊です。
◯「偽りの快適さのために悲しみを求めてはならない」(経文)
・誰もが求めている。誰もが幸福を探している。そしてほとんど誰もがまさに正反対のものを見つけることに成功している。
・99.9%の人々は、全く合理的な存在ではない。何度も同じ体験を通過しても何も学ばないし、同じままでいある。何度あなたは怒ったことだろう。それから何を学んだのだろうか?何度あなたは嫉妬したことだろう?それからどんな経験を得たのだろうか?
→「体験から学び成長する」というのは、私にとってアウトプットを主体とした学びの核となるものですが、ここで言われていることは同じポイントだと思います。
その体験を通じて、「どうすればよかったか」というhowの部分だけではなく、「自分を知ること(考え方、反応、価値観など)」に着目して、ちょっと振り返って考えてみるだけで、得るものがあるはず。
この繰り返しによって、体験を積むごとに成長でき、似た場面に出くわしたとき、次は前回より楽に乗り越えていくことができます。
「どこに着目するか?」。その大切さを感じます。
◯「三つの困難を学びなさい」(経文)
・探求者が理解すべき3つの困難。
①行為が起こっている間に気づくようになること
②思考があなたの中に現れているときにつかまえること。静かに座って、ただあなたの思考を見守る。ただ思考のすべてのニュアンスを見る。
③最終的にはひとつの行為に終わるこのプロセスを、それが思考になる前につかまえること。
・感覚→思考→行為。思考は特定の感覚によって引き起こされている。
→私が日常で大切にしていることに、「言葉になる前の感覚」というのがあります。言語化した時点で、体や心が感じたこととはもうニュアンスがずれ始めてしまう。言葉になる前に感じたこの瞬間的な感覚が本来の姿。言語化はそれを表現して誰かに伝えるためのものであり、言語自体がひとつのルールなので、感覚をそのルールに当てはめる(型にはめる)という性格上、どうしても感覚を正確に表現するのは無理があるということを意識しておくと、心や体が感じたことを大切にする感覚ができてくると思います。
◯「あらゆる領域で訓練しなさい。あらゆる物事において深く、そして広く訓練することが重要だ」(経文)
・偏見のない人は誰もいない。それは大きな視野に成長するための、基本的な必要条件だ。もしあなたが、それが何であるかを既に決めているなら、一体どうやって真実を知ることができるだろう?もし既に結論から働きかけていたら、決して真実に到達することはない。先入観から始めないこと。
→結論ありき(主張したいことありき)の場合、その結論を正当化するための情報を集め、理屈を考える。賛成か反対かも同じ。一方向からの景色で主張したところで、物事には絶対と呼ばれるものは少なく、異なる立場から見た景色も想像してみることが大切。なので、私の場合、特にビジネスでは、敢えて異なる立場からの質問をしてみます。「それって本当?こういう考え方もあるのでは?」。すると、そこから新たな議論が始まるので、最後は全体を見て結論を出す。検討の視点の漏れを防ぐことにも繋がり、結論の妥当性、結論に至るスピード(後から突っ込まれない)ともに向上するので、生産性アップにつながります。
◯「物事を後向きに為してはならない」(経文)
・人には3つの層がある。
①思考(最も外部のもの)
②感覚(中間にあるもの)
③存在(最も内部のもの)
・中心は円周に触れることができるが、その逆はない。
・未来が現在よりも重要になっている。「あれ」が「これ」よりも重要になっている。「そのとき」が「今」よりも重要になっている。「今」を持って重要にさせなさい。「ここ」をもっと重要にさせなさい。「これ」をもっと重要にさせなさい。
→「今ここ」の重要性。思考は、未来や過去や、物理的に離れて今ココにないものに飛んでいることがほとんどではないでしょうか。一方、何事も自分に関して起きているのは、「今」「ここ」でしかないという現実。現実から離れても、現実は存在し続けるという事実。「今ここ」の質を高めるには、「今この瞬間」に意識を向けて、「今この瞬間」の行動・言動・思考(身口意)を大切に生きること。それが大切だけど実践するのが難しいからこそ、瞑想やマインドフルが脚光を浴びるのだろうと思います。日常が訓練の場といってもいいテーマです。