『112の瞑想秘法の書(下)』(OSHO)<8冊目『存在をひとつに』より>
『112の瞑想秘法の書(下)』(OSHO)(◯)
<8冊目『存在をひとつに』84〜91の技法より>
20世紀のインドを代表する思想家OSHO。ガンジー、ブッダらと共にインドの運命を変えた10人に挙げられる方です。数々の講話が書籍になっていますが、本書は、112の瞑想法を講話した内容を書籍10冊にして発売されていたものを、上下巻にまとめたもの。それぞれ5冊分の書籍が掲載されています(なので、上下2段書きの体裁で900ページ超のボリューム)。
単に瞑想法というよりも、人間の探究本といった感じで、宗教でもなく、思想本でもなく、「人」を本質的に掘り下げていった内容となっています。OSHO初読でお勧めする書籍ではありませんが、私は、コーチング、組織づくり、人間関係づくり、人や組織の理解などに役立てています。
(『存在をひとつに』より・・印象に残ったところ)
◯第86の瞑想技法
・経文:「思惟してみる。知覚を超えたもの、把握を超えたもの、非存在を超えたものを。あなた。」
・人間には二つの顔がある。人間というのは二重の存在であり、二つに分裂している。もし一方を満足させれば、他方が不満を抱き、その逆を行えば、また他方が満たされない。常に何かが欠けている。両方が満足させることは不可能だ。なぜならその両方は正反対だからだ。
・どうして知覚できないものが想像できるだろう。それは不可能だ。しかし、だからこそ、やる価値がある。なぜなら、まさにその努力の中で、何かがあなたに起こるからだ。知覚できない何かを知覚しようとすれば、あらゆる知覚が失われる。かつて決して見たことがないものを見ようとすれば、まさにその努力の中で、自分が今まで見た一切は消え失せる。もしこの努力をあくまで続けば、いろんなが心象が現れるだろう。そんな心象は捨てること。どこまで捨て続けていっても、別に何かの対象が現れるわけではない。何の心象も、何の象徴も、何の夢も、何の画像もない。その瞬間変身が起こる。
◯第87の瞑想技法
・経文:「私は存在している。これは私のものだ。これこそこれだ。おお、愛しき者よ。そういうものの中で、果てしなく知れ。」
・考えるのではなく、感じる。心の中で「私は在る」と語ったところで、何の意味もない。頭はすべてを台無しにする。決して頭の中で「私は在る、私は存在している」などと繰り返してはいけない。それは無意味だ。役に立たない。それでは要点を見失ってしまう。
・どこででもできる。バスに乗っている時でも、電車に乗っている時でも。ただ座っている時でも、寝床で横になっている時でも、存在をあるがままに感じるように努める。それについて考えない。突然、あなたは気づくだろう。絶えず自分に起こっていながら自分の知らなかったことがいかに多いかを。
◯第89の瞑想技法
・経文:「愛する者よ、今この瞬間、心も、知も、息も、形態も、包含する。」
・覚えておくべき根本的な点は、包含的になるということ。排除してはいけない。
・木下に座り、木を見つめ、それから目を閉じ、その木を自分の内側に感じる。空を見つめ、それから目を閉じ、空を自分の内側に感じる。朝日を見、目を閉じ、朝日が自分の内側に昇るのを感じる。もっと包含的に感じる。
・包含を生活の基本とする。瞑想としてだけではなく、生活の基本、生活の様式とする。包含すればするほど、拡張すればするほど、あなたの境界線は存在の彼方へと後退する。そしてある日、ただあなただけが在り、存在全体は包含されている。これこそあらゆる宗教的体験の究極だ。
全10巻で解説されている計112の瞑想法には、セットとなる「112の瞑想カード」というのが発売されています。カード112枚には、それぞれの瞑想のタントラとイメージ画が描かれ、説明書にワークの要点(本書からの抜粋)がまとめられており、瞑想の実践に使えると思います。