原始仏典Ⅱ 第1巻
『原始仏典Ⅱ 第1巻』
ブッダの教えである「原始仏教」。後世ブッダの教えをまとめ直した大乗仏教〜中国へ伝播〜日本へ伝播という流れをとる仏教ですが、本書は、原点となるブッダの教えをまとめたシリーズ本。第1シリーズ全7巻を読み終えて、第2シリーズ全6巻へ突入。合計3,000ページくらいあると思いますが、コツコツと線引きしながら読み進めてみたいと思います。まずは、第2シリーズの第1巻を読了したので備忘を残しておきたいと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯第1章「葦」第10節
傍に立って、かの神は、次の詩句を持って、尊師に呼びかけた。
「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
尊師曰く、
「彼らは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから顔色が明朗なのである。ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。刈られた緑の葦のように」
◯第2章「歓喜の園」第2節
傍に立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。執着するよりどころによって、人間に喜びが起こる。執着するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない」
尊師曰く、
「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。執着するよりどころによって、人間に憂いが起こる。執着するよりどころのない人は、実に憂うることがない」
◯第3章「剣」第2節
「汚れのない人、清らかで咎のない人を汚す人がいるならば、その邪悪は、かえってその愚者に戻ってくる。風に逆らって細かい塵を投げると(その人に戻ってくる)ようなものである」
◯第10編第3節
スチローマ曰く、
「欲情と憎悪とは、何を原因として起こるのか?不快と快楽と、身の毛のよだつ恐怖とは、何から生ずるのか?子供達が、その足を縛って鳥を放つように、心の思考はどこから起こるのか?」
尊師曰く、
「欲情と憎悪とは、これを原因として起こる。不快と快楽と、身の毛もよだつ恐怖とは、ここから生ずる。子供達が、その足を縛って鳥を放つように、心の思考はここから起こるのであるが、それらは愛執から生じ、自己に根ざして成立している。凡夫は愛執に執着している。蔓草が林にはびこるように。ここから生ずるかということを明らかに知る人は、その原因を除去する」
私は、仏教については詳しくないので、深くは理解できていないですが、それでも原始仏典の経典(詩句)を読んでいる時間は、心が穏やかになり、鎮まるような感覚があります。日常で実践していくには、なかなか難しいところも多いですが、少し意識して心がけておくだけで、日常も穏やかに落ち着いて過ごせるのではないかと思います。残り5巻も少しずつ読み進めてみたいと思います。