論語を何冊か読んできましたが、基本書として置いておきたい良書でした。原文、書き下し文、現代語訳・注が見やすいことに加え、巻末に掲載されている語句索引が使い勝手が良く、たとえば「仁」という言葉が登場するページを総ざらいすることができます。今回は、特にコンテンツ作りのために読んだため、語句索引のありがたさを実感しました。2500の時を経て今なお読み継がれている偉大な一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
今回は「仁」シリーズということでまとめてみたいと思います。
◯【学而第一:二】有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、上を犯すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すを好まずして、乱を作(な)すものは、未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟は其れ仁の本為るか。
⇨有先生の教え。その人柄が、父母に尽くし兄など年長者を敬うような場合、反逆を好むというような人間は少ない。反逆を好まない人柄であって、にもかかわらず反乱をしたがるというようなことは、絶対にない。教養人は(人間としての根本)の修練に努力する。なぜなら、根本が確立すると、生かされた(道)がわかるからだ。父母に尽くし目上を敬うこと。すなわち孝弟が仁すなわち人間愛という生き方の根本なのだ。
◯【学而第一:三】子曰く、巧言令色(言を巧みにし色を令(よ)くするは)、鮮(すく)なし仁。
⇨老先生の教え。他人に対して人当たり良く、言葉を巧みに飾り立てたり、外見を善人らしく装うのは、実は自分のためというのが本心であり、仁すなわち他者を愛する気持ちは少ない。
◯【里仁第四:七】子曰く、人の過つや、各々其の党においてす。過つを観れば、斯(すなわ)ち仁を知る。
⇨老先生の教え。人間は君子、小人を問わず誰にでも過ちがあるが、その犯した過ちを処理するとき、それぞれその人の人格的段階(党)に応じた形となる。過ちの始末を見れば、当然にその人間性(仁)がわかる。
◯【雍也第六:二二】(略)仁を問う。曰く、仁とは、難きを先にし獲るを後にす。仁と謂う可し、と。
⇨仁者(人格者)とはなんですかと質問した。老先生はおっしゃった。「仁者は過程(困難への取り組み)を第一とし、結果は第二とする。そうであるのを仁者ということができる」と。
◯【述而第七:二九】子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(すなわ)ち仁至る。
⇨老先生の教え。仁(人の道)は難しい徳であろうか。そのようなことはない。己がそうでありたいと志せば、直ちにその境地に達するのだ。
◯【陽貨第十七:五】子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五者を天下に行うを、仁と為す、と。之を請い問う。曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず。寛なれば則ち衆を得。信なれば則ち人任ず。敏なれば則ち功有り。恵なれば則ち以て人を使うに足る。
⇨市長が仁とはなんでしょうかと孔先生に質問した。孔先生はこう述べられた。「五つのことを世に行うことができれば、それが仁(人の道)である」と。子張はその五者をどうか教えてくださいとお願いした。老先生はこう述べられた。「それは、恭・寛・信・敏・恵である。己を慎み驕らなければ(恭)、人に侮られることがない。度量が広ければ(寛)、人の心を得られる。言行一致であるならば(信)、人は信任するぞ。すぐに実行するならば(敏)、功績があがる。財物を惜しまず分け与えるならば(恵)、労に酬いるので、人を十分に使うことができる」と。
ここで紹介したものを含め、語句索引では43箇所が紹介されていました。「仁」とは一般的に愛情、思いやりとされますが、もう少し広い人徳が含まれているように感じました。人生において仁が増えれば、幸せ感が増していくはず。「仁」を整えていくこと。これは人生の中でもとても大切なことだと思います。