『遠野物語(NHK100分de名著ブックス)』(著:柳田國男、解説:石井正己)
「遠野物語」は、岩手県遠野市を舞台とするお話し。山の神、里の神、家の神をはじめ、天狗、山男、山女、河童、幽霊などの話が119話収められています。牧歌的な昔話としてイメージされる一方、現実世界を生きる人間たちの「負の遺産」ともいうべき姿が活写されています。自然について、神様について、人間の生死について、かつての日本人は何を感じて生きていたのか。その「遠野物語」の概要をまとめた「NHK100分de名著ブックス」シリーズです。
(印象に残ったところ・・本社より)
◯「遠野物語」とは
・岩手県遠野の山あいにある土淵村で生まれ育った、佐々木喜善(1886〜1933)は、小説家になることを夢見て状況し、柳田國男(1875〜1962)と知り合う。
・佐々木は故郷に伝わる神や妖怪の話、家々の伝承などの豊かな語り手だった。柳田國男が、佐々木の語った不思議な話を聞いて、研ぎ澄まされた文章にまとめたもの。それが、明治43年(1910年)に初版が発行された『遠野物語』。
・不可思議内容も語られますが、その不可思議さをも含めて事実だということ。私たちはついつい、これは嘘か本当かという二分法で考えてしまいがちですが、多分『遠野物語』の世界では、その二分法は成り立ちません。生と死の境界すらも曖昧で、死者と話したり、死の世界との境界を越えて行ったり来たりしてしまう。そしてそれを否定せずに受け止める精神的な世界が、たったいま、確かに存在するというリアリティーがある。
・『遠野物語』では、その話が本当にあった「現在の事実」であることを保証するために、地名・人名をはじめとする固有名詞が丁寧に書かれている。
◯河童の子殺し
55話は、「二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は切り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり」という怖い話。夫のある女のもとに夜な夜な通ってくるのが河童だったという話なのですが、おそらく名家のスキャンダルの噂を消すために「河童の子を殺した」という話が利用されたのでしょう。
◯河童の子を捨てた
・56話で興味深いのは、村の外れの道ちがえ(追分)に子供を捨てたあと、見世物にしようと思い直して取りに引き返すところ。村の習俗の世界に、江戸時代以降、都市の盛り場で広まった見世物の風俗が入り込み、河童の子を売ろうとしますが、すでに異界に隠されたいたのです。ここには、なんでも売って金にしようという、現代の日本にもつながる経済優先の価値観が見られます。古い民族の習慣が貨幣経済と出会って、人間の心が揺らぎ始めていることがわかります。ですから、これは、古さと新しさとが出会う『遠野物語』のあり方をよく示している話だとも言えます。
◯神々の世界
・かつて日本では山にも川にも、里にも家にも、至る所に神様の存在を感じながら、人々は暮らしていました。神様はどこか遠くではなく、生活のごく身近なところに存在していた。台所や便所などにも神様がいると信じ、一年の行事の中に神を祀る日を決めていたことは、生活を律する規範になっていたように思う。
・題目では、神々は「里の神」「家の神」「山の神」に分類されている。「里の神」はさらに「カクラサマ」「ゴンゲサマ」、「家の神」はさらに「オクナイサマ」「オシラサマ」「ザシキワラシ」に回分類されています。
・遠野三山と呼ばれる早池峰山、六角牛山、石上山は、戦前まで女性の立ち入りが許されなかった。その禁制の厳重さを示すために、一人の巫女が「自分は神に仕えるものだから差支えがない」と言って、牛に乗って石上山に登ると、暴風雨に吹き飛ばされて、姥石と牛石になったと伝えられる話がある(拾遺12話)。
などなど、物語の解説が続きます。今回、初めて遠野市を訪れることになったため、急遽この本を読みました。遠野は、風情がある落ち着いた町で、この街でこの物語があったのかと思うと、とてもとても感慨深くなりました。遠野物語の記念館もあり、雰囲気が感じられます。
NHK「100分de名著」ブックス 柳田国男 遠野物語 (NHK「100分 de 名著」ブックス)
- 作者: 石井正己
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/03/23
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