『神谷美恵子 生きがいについて(NHK100分de名著ブックス)』(若松英輔)
「生きがいって何?」。表現は異なっても、このテーマについては、多くの人が意識するテーマではないでしょうか。1966年に発行された本書は、癌を患った著者が岡山県にある長嶋愛生園というハンセン病の国立療養所に精神科医として通い始めたこときっかけに書かれたものです。人が生きる姿、一人ひとりに宿る生きがいとは何だろう。自分ごとに置き換えて、あらためて「生きがい」について考えることができる良書を外観できるNHK100分de名著ブックスシリーズです。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯冒頭
「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかもしれないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた1日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてしもない虚無と倦怠。そうしたもののなかで、どうしても生きて行かなければならないのだろうか、なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない」
◯生きがいの喪失は誰にでも起こりうる
・苦しみや悲しみが引き起こされる背景には、さまざまなきっかけがあります。神谷はその一例として次のように述べている。
「たとえば治りにくい病気にかかっているひと、最愛の者をうしなったひと、自分のすべてを賭けた仕事や理想に挫折したひと、罪を犯した自分をもてあましているひと、ひとりの人生の裏通りを歩いているようなひとなど」
◯生きがいを与えることはできない
・神谷は「生きがい」とは何かを考えるときの導線となるような4つの問いを挙げている。
①自分の生存は何かのため、または誰のために必要であるか?
⇨私は何かのため、誰かのために必要とされているか?(求められること)
②自分固有の生きて行く目標は何か?あるとすれば、それに忠実に生きているか?
⇨私だけの生きていく目標は何か?それに従っているか?(固有の意味)
③以上あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか?
⇨私は生きている資格があるか?(世の中から認められていること)
④一般に人生というものは生きるのに値するものであるか?
⇨人生は生きるに値するものなのか?(普遍的な生の意味に触れていること)
◯「待つ」という営為
・「生きがい」が奪われたという表現がある。しかし、神谷は、本当の「生きがい」は「奪われた」のではなく、姿を変えて「意識の周辺に押しやられ、そこで存在し続ける」のではないかと問いかける。
「フロイトのいうように、自分にとって都合の悪いことは抑圧され、無意識の世界に押しやられるということも確かにある。しかし生きがいを奪われたというような状況は、多くの場合、そう簡単に無意識の中に封じ込められてしまいうるものではなく、単に意識の周辺に押しやられ、そこで存在し続けるのではないだろうか。それが意識の中心を占めるものの背景となって、これに影響を及ぼすものと思われる。それは虚無と暗黒の背景であるから、ちょうど暗視野装置の顕微鏡でものを見ているように、対象の存在が浮かび上がって見えるのではないかと思われる」
◯生かされていること
・生きたいように生き、何かを達成する喜びとは違う、「生かされている」ことを全身で感じる歓びは、「生きがい」の発見につながるという。
「変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っている。つまり生かされていることへの責任感である。小さな自己、みにくい自己にすぎなくとも、その自己の生が何か大きな者に、天に、神に、宇宙に、人生に必要とされているのだ、それに対して、忠実に生き抜く責任があるのだという責任感である」
「天命を知る」という言い方もされますが、自分はなんのために生まれてきたのか、この人生で何を成し遂げるのか。永遠テーマでもあると思います。ただ、何かを目指したり、自分が描く理想の状態を満たしたり、何らかの道標がないと不安になるのもまた人間だなと思います。