『東洋庶民道徳〜『陰隲録』の研究〜』(西澤嘉朗)(◯)
昭和30年に発売された本書。今から約400年前の書物である袁了凡の『陰隲録』を解説した一冊です。立命、過ちを改める、積善、謙虚といった、人が生きる上で大切なことについて、著者の袁了凡が息子に伝えるために書き残した内容です。
人間は生まれながら、それぞれの運命を定められる。仏教的に言えば業を背負って生まれてくる。しかしそれを善因善果、悪因悪果の天の陰隲の真理を知って、善行を積むことによって、持って生まれた先天的運命を改善打開しようとする。その考え方その方法を述べているのが『陰隲録』です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「殀寿弐(たが)はず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以なり」(孟子)
・反対の二者も二つとならず一つになる。
・世間では最も死生を重大事とするから孟子は殀寿という言葉をもって、一切の順境逆境の場合を総括した。順境の対立の境に心を翻弄されない無念無想の心境になることが立命、命を立てることの根本要件であることを言っている。
・次に「身を修めて以て之を俟つ」ということは、善事陰徳の行いをなるべく多く積むようにと努めて後は自然に任せること。「身を修める」とは、自分が犯した過ちや罪を十二分に反省しできる限りの徳を積むことによってその罪過をつぐない、自己の徳の完成を期すること。「之を俟つ」とは、こうすれば寿命が授かるだろうとか、ああすれば幸福が与えられるだろうかなどと伺い望む心や願い迎うる意。
◯「天は諶(まこと)とし難し、命は常靡(な)し」(『書経』)
・天は変わらぬものと私心で空頼みしても変わってしまう。運命も一定されたものでなくて、自己のなす善悪によって変動するもの。
・「人間の禍福はただ天の命ずる所で、運命は人間の力で変動させることはできぬ。どうしようもないものだ」という宿命論は、世の俗人の論。
・「禍福は皆自分の心から求めるものである」ということこそ聖賢の言。
◯過ちを改める
・日々に己が非を知り、日々に過ちを改めることに精進しなさい。一日己が非行について何ら考えず自覚しないのは、すなわち一日自らを是なりとして安閑として過ごしてしまったもの。一日過ちを改めることがなかったということは、すなわち一日進歩しなかったこと。
・せっかくの素質も充分に伸びず功績も広大を加えないのは、ただ毎日をなんということなく過ごしてしまって、自己の行為に鋭敏な省察をなして、非を知り過ちを改めることをなさないためである。
◯禍福は前知できる
・本来、人々の吉凶というものはその人の心によって生じるもの。心中にその気が動くと、それが自ずとその人の顔面や言葉や挙動に影響してくる。だから聡明な人であればその人の言動動作からその人の心の状態を見抜いて、その人の将来の運命を判断し言い当てることができる。心が敦厚な者ほど、常に福を獲るし、心の薄情な者ほど、禍に近づきがちなもの。
・ところが凡人の俗眼ではその間の消息を明察することができずに、禍福は心的状態のいかんによって定まる者ではなく、予測し得るものではないと思う。
・天と合一している逹道の賢者にとっては、その人の言語あるいは動作を通じて心気の善なるを観れば、やがてその人に福の来ることを前知することができる。その態度を通じて心気の不善なるを観破しては、やがてその人に禍の来ることを前知しうる。
◯過ちを改める3つの肝要
①恥じらいの心を起こす
・童年の当時の恥じらいの心を失わず、それをますます深め洗練して、どんなに年寄っても良心の光を鈍らせぬようにしていかねばならない。こうしていつも良心を鋭敏にして悪行を改めていくことに努力するならば、古の聖賢と異なることのない光明な心境にも到達できる。
②畏敬の念を抱く
・天地神明〜道に対して自ずから頭の下がる、あの敬虔の念。過は旧い新しいを論ぜず、即刻改めることが何よりも肝要。
③勇気を振起する
・我々が過を改めるのに困難を感ずる理由は、従来の惰性のままにぐずぐずしていて思い切ってなさず、いざなそうとしても、それをすると何か自分が損失でもするかのように思われて、つい萎縮してしまうから。
◯改過の3段階
①事上より改める方法
・すべての目に見える行いの一事一事について過を改めて善行に移そうとする。
②道理の上から改める方法
・道理を明らかにし我が心の思いようを変えていく方法
③心根を浄めて改める方法
・あらゆる考え、あらゆる行いの本源となるところの一心を、これを徹底して浄化し改めること。
⇨第三の方法は最上の方法だが、これによって改め得ない人は、物事の道理を明らかにして、第二の理の上から過を改める法に従うのが良い。それもできないとしたら、第一の一々の事について過を禁じていく方法が良い。
⇨第一第二の小乗的修行方法のみを最上策として、第三の心上より改める工夫に昧(くら)いのは解脱の道において拙しというべき。
◯陰徳
・善をなすのに、その行うことが、他に知られぬようにすること。
・とかく人に知ってもらいたい、認めてもらいたいのが、人間通常の心理。それをぐっと堪えて、他人の気づかぬように、密かに行う善事。
◯積徳
・人が知らぬというようなことなどは頓着せず、ただ善事でさえあればどんな小さなことでも打ち捨てずに、飢えた者が食を求めるように、渇した者が水を求めるようにつとめつとめて日もこれ足らずと、飽くことを知らず善事を行うこと。
・その時その時に一つ一つ自分の心を吟味すること。本心から行ったのか、それとも自己の利益のため(名声を高めるため、誇るため・・)にするところあって行ったのかをよく問うてみる。つまり、義のためにやっているのか、利のためにやっているのか、そのところを鋭く自心を掘り下げて弁別する。
◯善行の十大綱目
①人とともに善をなす
②愛敬 存心
③人の美を成す
④人に勤めて善をなさせる
⑤人の危急を救う
⑥大利を興建す
⑦財を捨てて施をなす
⑧正法を護持す
⑨尊長を敬重す
⑩物の命を愛惜す
道徳は、自分の心に向き合うことでもあり、内省と実践の繰り返し。大人になればなるほど、考えずに通り過ぎてしまうことや自分を正当化して通り過ぎてしまうところを、一度立ち止まって「このままでいいのか?」と自分に問いかけ、人間本来のあるべき姿を考え直してみるということが必要だなと感じました。誰かに影響を及ぼすことが子供に比べて大きい大人こそ道徳を学美直す価値があるのではないかと思います。