『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』(飲茶)(◯)
440ページ強とボリュームがありますが、おもしろくて意外とさらっと読めてしまいました。インド・中国・日本の哲学の歴史の幹となる部分をエピソードとともにフランクな文調で書かれていますので、小難しくなく読みやすい一冊です。釈迦、孔子、孟子、荀子、韓非子、老子、荘子、親鸞、栄西、道元など、歴史の授業で勉強したなぁという人達ってこういうことを為した人なのかと改めて確認できて、それぞれの人物に対する興味が深まりました。
【本書の学び】
①西洋は人間の外側、東洋は人間の内側を考えた。東洋はドラマの最終回から始まって、あとはその解釈を談義する。
②「知る」:西洋では知識、東洋では体得。
③老荘思想は荘子に学べ。老子は請われてイヤイヤ伝えた、荘子は自ら喜んで伝えた。
④東洋思想は論より実を取る。間違っていても、作り話でも効果があれば、それが「真』。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯ヤージュニャヴァルキヤ(古代インド史上最強の哲人)
・「梵我一如」
世界を成り立たせている原理(梵=ブラフマン)と個人を成り立たせている原理(我=アートマン)が実は同一のもの(一如)という理論。
・私が存在するための条件
「痛み」を感じたり、「色」を見たりするような意識現象があること。つまり、「私がある」と言えるのは「何らかの対象を見たり感じたりするような意識があるときだけということ。
・「私とは、認識するものである」という定義を受け入れるならば、同時に「私は私自身を認識対象にできない」という論理的な帰結も受け入れなくてはならない。
・「アートマン」については、「に非ず、に非ず」としか言えない。アートマン(私)は、決して認識対象にならないのだから「私はAです」ということは本来的にできない。なぜなら「私は◯◯です」というときに「◯◯」とはすべて「認識対象となったもの」だから。
・哲学的には「私は◯◯ではない」というのが真理なのに、日常的には「私は◯◯である」と考えている。という僕たちの間違った思い込みが、この世のあらゆる不幸を生み出す原因になっている。すべての不幸は、私(アートマン)への無知から生じるただの勘違いに過ぎない。
◯釈迦(我を破壊した仏教の開祖)
・本当にわかっている人なのか、知識として知っているだけで本当はわかっていない人なのか、言葉の上ではそれを知るすべはない。
・もしわかるとしたらそれは言葉ではなく実践、すなわち普段の生活態度からであろう。言葉でなく、実際の行動で判断すればいい。
・四諦
①苦諦(「苦」という真理)
②集諦(「苦の原因」という真理)
③滅諦(「苦の滅」という真理)
④道諦(「苦の滅を実現する道」という真理)
・この4つの真理を並べて、簡単に言うと、人生は苦しみだらけだけど、その苦しみには執着という原因があって、それをなくせば苦しみを消すことができる。そして、その境地に至るための方法があるんですよということ。
◯龍樹(大乗仏教の最終兵器)
・縁起という釈迦の哲学こそが仏教の要所であると考え、それを空の哲学として洗練させ、般若経という経典をまとめあげた。
・般若経は600巻以上もある超巨大な経典であり、それをたった262文字に凝縮したのが般若心教(作者不詳)。
・仁とは、家族として接している時に自然と溢れ出てくるような人を思いやる気持ち。
・礼とは、その仁を態度として表す礼儀作法。
・孔子の思想を簡単に言ってしまえば、「思いやりの気持ちを大切にして、礼儀正しく生きましょう」ということ。
・講師はきちんと歴史を紐解いた上で「尭・舜・禹」の三王の時代が国家の理想であると定義し、そこに立ち戻るべきだという強い信念を持っていた。
・性善説を持ち出すことで、「支配者たちがいかに無能であるか」を明らかにしたかった。
・「礼は政治の極致であり、国家を強固にする根本である」
・荀子が偉大であったゆえに、法家がものすごく強くなってしまい、法家の大躍進が始まる。
◯韓非子(法家を完成させた大天才)
・民衆とは正義ではなく権勢に従うもの。とにかく国家を強くすること。それこそが国家の至上命題。
・「形名参同」。家臣が実際にやったことと、やりますと明言したことが同じであったかどうかをちゃんと参照して評価しなさい。
・「無為にしてなさざるはなし」。何もしないが何もしないということもない。あなた自身が何もしなくても、物事は勝手に起こる。
・学を捨て、分別を捨てなさい。そうしてついには、「私がいる。私がやっている。私が見ている。私が触れている」といった思い込み(分別)を打ち破り、行動や思考が自然に湧き出るままに任せるという境地に到達しなさい。この時「私」は何もなさないただの観客となり、人生は映画のようにひとりでなされていく。
・本来、世界には境界がなく、「物(僕たちにとっての存在)」もない。それが最高の境地であり、道(タオ)である。言葉を持ち込むことで境界が生まれる。
◯親鸞(他力本願)
・念仏による「他力」の境地へ。
・Before:「念仏」=深い瞑想に入って心に仏の姿をありありと思い浮かべること
・After:「念仏」=南無阿弥陀仏と唱えること
・「とにかく簡単にできる」。阿弥陀さまを信じてたった6文字の言葉を唱えるだけで良いのだから、誰であろうとすぐに実践できる。学もなく修行する時間もない民衆であっても、仏様のご加護を受けられるということ。
史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)
- 作者: 飲茶
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2016/10/05
- メディア: 文庫
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