『生の書物』(J.クリシュナムルティ)
わずか70ページほどの小冊子なのですが、深く理解するには読み手が試される内容です。著者は1895年南インド生まれの宗教的哲人。4回の講演録がまとめられており、「生の書物」はその講演タイトルの1つ。他に「生と関係と行為である」「欲望、楽しみ、悲しみと死」「精神の壮大さ」が収録されています。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯問い
・執拗に問うことは、人の生存にとって本質的。
・語り手を問うだけでなく、あなたの信念を、生き方を、なぜあなたがこのように考えるのか、なぜこのように生きるのか。
・永続的に執拗に問うことは、疑うことを意味していて、大変重要。なぜなら、あなたが疑うなら、それはあなたにとってものすごいエネルギーを与えてくれるから。
◯イメージ
・イメージと共に生きるなら、幻影と共に生きている。真実と共にではない。イメージは思考の投影。イメージ作りの過程を理解するには、考える過程全体を理解しなければならない。
・考えることとは何か。イメージ作りは人の習慣であり続けた。
・イメージには安全がある。どんなに偽りでも、どんなに非現実でも、どんなに狂気でも。そこに、精神は安全を作り出した。
・私たちは思考をもとに生きてきた。私たちのすることのすべては、思考に基づいている。そして、思考は不完全であるので、私たちの生は不完全。私たちは、完全性の感覚を与えてくれるであろう何かにおいて生を満たそうとしている。
◯矛盾・無秩序の中に生きる
・あなたが、中心を伴って、周辺に向かって働いている限り、矛盾があるに違いない。
・すなわちあなたは、自己中心的に、利己的に、自分勝手に、個人的に行為している限り、この広大な生の全体をその小さな「私」に狭めている限り、必然的に無秩序を作り出す。「私」は思考によって組み立てられた、とても小さな事柄。
・自己中心的活動がある限り、矛盾があるに違いない。
◯欲望
・欲望は意志。医師は欲望の総和。私たちは、意志で持って作動し、機能する。
・「私はしなければならない」「私はしてはならない」。この意志の常なる活動が、欲望の本質。欲望をまさに覗き込んでいる中で、あなたは見え始める。その本性への洞察を持つ。
・欲望は楽しみ。私たちは皆楽しみの奴隷。所有の楽しみ、権力の楽しみ。妻に対して、子供に対して持っている権力。それは楽しみの形。人は果てしなく楽しみを追求する。一つのもので楽しまないなら、他のもう一つを追いかける。あなたは、妻や夫で楽しまないなら、彼らを変える。楽しみの追求がある。それは喜びとは全然異なる。楽しみは、人生の生において、駆り立てる要因の一つであった。ですから、私たちは楽しいを理解しなければならない。
◯死の探求
・死を探求するには、何が生きることであるのかを探求しなければならない。
・重要なのは、あなたが今何をしているか。今どのように行動しているか。どのように振る舞うか。そのすべて。それが生と呼ばれるもの。すなわち、生きること、他の一人への執着、その恐れ・心配・切望・嫉妬を伴っている。執着があるところ、断裂・腐敗がある。人が権力に取りすがり、その権力に執着しているとき、彼は断裂・腐敗を呼吸している。
・あなたは目の前、鼻の先で、この全てが起こっているのが見える。それがあなたの生であるすべて。それを手放すことが死。
・あなたはお金に、地位に執着している。あなたは自分自身では空っぽ。不十分。この全てが生きること。
生きるとはどういうことか、きれいな部分だけではなく、人はそもそも執着する生き物であり、エゴもあるし、感情もある。そこに目を背けずに受け入れること。そこから始めるとはいえ、素直になれないのもまた人間。そうした本質的なことを考えさせてくれるところに、本書のような哲学的な書物の意味があるように感じます。
- 作者: ジドゥクリシュナムルティ,Jiddu Krishunamurti,藤仲孝司,内藤晃
- 出版社/メーカー: UNIO
- 発売日: 2016/03/01
- メディア: 単行本
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