大乗の教え(上)(中村元)
『大乗の教え(上)』(中村元)(◯)
本書は20世紀を代表する仏教研究家である著者が、1985年にNHKラジオ第二放送で全26回の連続講義をされた講義録を4巻にまとめた第3巻です。第3巻では、「般若心経」「維摩経」「法華経」をはじめとした経典が解説されています。様々な経典の骨子がわかるので、全体像を掴んだり、まずは仏教の世界に馴染んだりするのに役立つ一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯ありとあらゆるものが「空」である
・我々は見るもの、経験するものが固定的な実体を持っていると考えがち。けれども、固定的な実体を持った永久不変のものというのは、形あるものとしては存在しない。たとえ100年、200年続いたとしても、1000年、1万年となれば、また消え失せる。
・だから、我々は固定的なものという観念を抱いてはならない。ありとあらゆるものが空である。種々の事物というものは他のものに条件づけられて成立していた、その限りにおいて存在しているもの。固定的・実体的な本性を持っていない。本体を持たなければ、空であると言わねばならない。そう見なすのが空の思想。
・すべてが空であるならば実践が成立し得なくなるのではないか、と思われるけれども、般若経典は逆だという。もしも、我々の煩悩とか悩みというものが、固定した永久不変のものであるならば、煩悩がなくなることはあり得ない。悩みが消えてなくなるということもあり得ない。けれど、我々の執著でも煩悩でも悩みでも、その本体は空である、だからこそ修行によってそれをなくすことができるのだ、という。
・こういう理を体得することが無上のさとり(無上正等覚)、つまり自分で気がつくこと。
◯実践の心構え(『金剛般若経』)
・道を求める人、つまり菩薩は無量無数無辺を救うが、しかし、自分が衆生を救ったと思ったならば、それは本当の求道者ではない。かれにとっては、救うのも空であり、救われる衆生も空であり、救われて到達する境地も空である。
・仏様には特定の教えというものがない。教えというものは筏のようなも。衆生を導くという目的を達したならば、捨て去らねばならない。教養にとらわれて争うなどということは、これはあさましいこと。こういう実践的な認識を智慧の完成、般若波羅蜜多と称する。
◯自らを戒める十の誓い(『勝鬘経』(しょうまんぎょう))
①自分が受ける戒めについて、戒めを犯すような心を起こしません。
②年長の人、長上に対して、慢心、侮る心を起こしません。
③あらゆる生き物に対して、怒る心、憎悪の心を起こさないようにいたします。
④他の人の身、姿、人々が使っている外側のいろいろの道具、そういうものが立派だからといって、妬む心を起こしません。
⑤内外のものについて、物惜みの心を起こしません。
⑥財産を受け保つとしても、自分のためにはいたしません。
⑦四摂法行います(布施、愛語、利行、同事(協力))
⑧苦しんでいる人、悩んでいる人を見ては、しばらくの間も捨てることをしません。
⑨生き物を捉え、殺すことをしません。
⑩正しい法を受け保って忘れません。
◯三乘は一乗に帰する(『法華経』)
・声聞乗:ブッダの教えを聞いて忠実に実践する
・縁覚乘:ひとりでさとりを開く人の実践
・菩薩乘:自利利他を目指す
⇨この3つは結局「一条に帰する」。つまり一つの乗り物に他ならない。3つあるように思われるけれども、実はどれを追求していっても一つの真実の教えに帰着する。従来これらの三乘は一般に別々の教えとみなされていたが、それは皮肉な見解であって、どれも仏様が衆生を導くための方便として説いたもので、真実は一乗の法あるのみある。
◯声聞
・伝統的な教えを忠実に実践しようと願っている人であり、かれらには「四諦の法」を説いた。
・「四諦」は4つの真理。「苦・集・滅・道」の仏教の4つの要点。この四諦の法により、生・老・病・死を救い、涅槃を体得させた。
◯縁覚
・自分ひとりでさとりを求めた修行者のためには、「十二因縁の法」を説いた。
◯菩薩
・菩薩のためには、6つの完全な徳「六波羅蜜」(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を説いた。
専門書が多い世界だけに、本書のように平易な言葉で、骨子をわかりやすく解説している本はありがたいです。現在かなり手を広げて仏教の世界を垣間見ていますが、その中でも本シリーズは入門書として秀逸だと思います。