『ゴータマ・ブッダ』(羽矢辰夫)
高野山大学の通信講座のテキスト。まずは一読してみました。ブッダの生涯的な本はすでに何冊か読んでいますが、本書は、人生の流れに沿って要所を取り上げて解説した一冊で、一見してとても読みやすく、とっつきやすい内容でした。本書をきっかけに、入門書や参考文献に広げていくという最初の一歩に適していると思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯最初の説法
・ゴータマ・ブッダの基本的な姿勢は、「自らしり、証し、感得する」ことにある。彼は「これを拝めば救われる」とか、「私を信じれば苦しみから逃れられる」などとは決して言わない。必ず自分で知り、証し、感得することの必要性を説く。
・道(方法)を示すだけであり、それを選択し、実践するのは、現実に苦しみに陥っている私たち自信。
・根源的なところで問題が解決されていないために、そのような「無私」で「善意」の人々の集団は、誰かや何かに誘発されれば、より深刻な問題を引き起こしかねない可能性を常に秘めています。自分を救うのは、他でもない自分自身なのです。「自ら知り、証し、感得する」ことの大切が強調される理由もそこにある。
・言葉による議論をいくら積み重ねても、そのような哲学的な問題を解決することと、私たちが苦しみから解放されることは関係がないから。それよりも、現実の苦しみの姿をよくよく実感させて、そこからどのようにすれば逃れられるのかということを問題とすべきだと考えた。最初から哲学的な興味あるいは知的な関心だけで議論のための議論はしない。したがって、解かれる教えは極めて実践的な教えとなる。
◯初転法輪(初めての法(真理)の輪を転ず)
・四諦説
①これは苦しみであるという真実(苦諦)
②これは苦しみの生起(原因)であるという真実(集諦)
③これは苦しみの消滅であるという真実(滅諦)
④これは苦しみの消滅に導く道(八正道)であるという真実(道諦)
・八正道
①正しい見方(正見)
②正しい意思(正思惟)
③正しい言葉(正語)
④正しい行為(正業)
⑤正しい生活(正命)
⑥正しい努力(正精進)
⑦正しい念い(正念)
⑧正しい瞑想(正定)
・「これは苦しみであるという真実」「これは苦しみの生起(原因)であるという真実」とは、「このような見方で見れば、人生は苦しみである」という意味。
・この説教の主眼点はむしろ後半にある。「このような見方で自分自身が世界と関わっている限りは、確かに人生は苦しみである。しかし、私たちは、それとは異なる見方ができるのであり、それを感得することによって、苦しみであると思われていた人生が違って見えてくる。それが「さとり」の契機であり、苦しみの消滅であり、そのための道(方法)もある」という点が重要。
◯「ダンマ」と「さとり」
・ダンマは仏教の教養の中で最も重要であり、かつ解釈が困難な言葉の一つ。最近の合理的な解釈では、この文脈のダンマを「現象」と訳する。そして、もろもろの現象が原因によって生じる(縁って起こる)ことを「縁起」と解釈する。
・「あらゆる現象は原因によって生じ滅している(縁起、因果律)。それゆえ一切は無情であり、永遠にそれだけ存在する自我などはない(無我)。それにもかかわらず、縁起であり無情であり無我である真実を知らないで(無明)、変わらない自我に過剰に執着することあkら苦しみや悩みが生じる。したがって、演技という因果の法則を理解しさえすれば、過剰な執着はなくなり、苦しみや悩みは消滅する」
・自我を含めてあらゆる現象が縁起しているものであり、したがって無情であり無我であることを知ることが「さとり」と言われ、仏教の究極はここにあるとされる。
なんとなくですが、これまでに学んできた目に見えない世界や、瞑想の世界観を経験したことで、仏教の精神世界が理解しやすくなっている気がします。抵抗感なく自分に入ってくるという感じでしょうか。仏教は精神世界ながらも論理的でわかりやすいのがとてもとっつきやすいと感じる要因でもあると感じます。