荀子(上)(訳注:金谷治)
性善説の孟子に対し、性悪説の荀子。良い悪いというよりも、性善説はリーダーシップの精神で仁を説く。性悪説は識字率が著しく低い当時、国民を統治するには統治の仕組みをしっかり作り制度で統制していくことが良いとする法治の精神。したがって、荀子の教えは、その後韓非子の法家に繋がり、さらに現代の法治国家にも繋がっていく。かといって、実際に読んでみると、リーダーとしての考え方、あるべき論なども展開され、単純に「性悪説」とだけ割り切れるものではない気がします。時間はかかりますが、学びの深い一冊でした。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯学は栄達を求めず、己れのためにすべし
・君子の学問は、耳から入ったことが心につき体中にゆきわたって行動にも現れる。だからちょっとした言葉、ちょっとした身動きもみな法則とすることができる。
・小人の学問は、耳から入ったことが口から出ていく。
・君子の学はそれで我が身を立派にし、小人の学はそれを他人に取り入るための贈り物とするだけである。
◯君子と小人との分別
・君子は能力あれば寛容平正で他人を啓発指導し、無能であれば恭敬でへり下って他人のために慎んで仕事をする。
・小人は能力があれば尊大邪悪で他人に奢り高ぶり、無能であれば妬み恨んで他人を陥れる。
・そこで能力ある君子には他人もついて学ぶのを喜び、無能な君子には他人も教え知らせることを楽しむが、小人には能力があってもこれについて学ぶことを軽蔑し、無能であってもこれに教え知らせるのを恥じる。
・君子は、ゆったりしているが怠けることはない。廉直であるが人を傷つけることはない。雄弁であるが人と争わない。明察であるが厳しくはしない。独立気概があるが人を凌ぐことはない。強くしっかりしているが乱暴はしない。従順でもの柔らかであるが世俗に流れることはない。恭敬謹慎であるが窮屈でなく、おおらかである。
◯三不祥事と三必窮事
・①幼少でありながら年長者に従事することを承認せず、②賤者でありながら貴人に従事することを承認せず、③愚者でありながら賢人に従事することを承認しない。
・①上位者となりながら下位者を愛することができず、下位者となりながら好んで上位者の悪口をいうのは、人としての第一の必窮行為、②対面するときは従順でなく背を向ければ侮るというのは人としての第二の必窮行為である、③知行がともに浅薄で正邪の程度はまたふつう人と甚だしく隔たって下等であるのに、しかも仁人を推奨し智士を尊ぶことができないのは、人としての第三の必窮行為である。
◯明君は要を好む
・君主としての政治のやり方は、近辺を治めて遠方を治めようとせず、はっきりしたことを治めてわかりにくいことを治めようとせず、一事を治めて二つの事を治めようとはしない事である。
・君主がよく近くを治めることができれば遠方も治るようになり、君主が良くはっきりしたものを治めることができればはっきりしないものもそれに感化され、君主がよく根本の一事に適中することができればまた多くの事にも適中するようになる。
◯人君の大節
・「君主というものは舟であり庶民というものは水である。水は舟を載せるがまた舟を転覆させもする」(古伝)
・人君たるものは、自分が安泰でありたいと思えば政治を公平にして民衆を愛するのが第一であり、繁栄したいと思えば礼という規範を尊重してそれを守る士人を尊敬するのが第一であり、功名を立てたいと思えば賢者を高位につけ有能者を取り立てるのが第一のことである。そして、これが人君たる者の大事な守りどころである。
古典は内省するのにも、今後の展開を考えるのにも適しています。儒家、道家、法家、仏教も、それぞれの良さがあり、今の自分に適したものを拾っていくという感覚でいいのかなと思います。