MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

ニコマコス倫理学(上)(アリストテレス)

『ニコマコス倫理学(上)』(アリストテレス)(◯)<2回目>

 下巻に行くまでに時間がかかりすぎたので、上巻を再読。このところ「中庸」という言葉をセミナーで使うことが多く、改めて「中庸」に関する西洋の古典である本書を読み直してみようと思い読み直しました。難しい箇所もありますが、言わんとしていることが伝わってきやすく「中庸」の例を学べる良書だと思います。紀元前300年代にこのような理論が展開されていたのかと思うと、当時のギリシア文明のすごさを感じます。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯徳

・徳とは、何らか中庸と言うべきもの。まさしく「中」を目指すもの。

・悪には過超と不足が属するに反して、徳には中庸のみが属する。

・中庸とは、2つの悪徳の、すなわち過超に基づくそれと不足に基づくそれとの間における中庸の謂いである。そしてさらにそのことは、「情念や行為において一つの悪徳は然るべき程度に比して不足し他の悪徳はそれを過超しているのに対して、徳は中を発見しそれを選ぶ」ものとなることに基づいている。

 

◯中庸

①「恐怖」と「平然」に関しては、その中庸は「勇敢」。

②「快楽」と「苦痛」に関しては、その中庸は「節制」。

③財貨の贈与ならびに取得に関しては、その過超と不足は「放漫」と「けち」。その中庸は「寛厚」。

④財貨について他にも、その過超と不足は「派手とか粗大」と「こまかさ」。その中庸は「豪華」。

⑤名誉と不名誉に関しては、その過超は「倨傲」(きょごう)のたぐい、不足は「卑屈」。その中庸は「矜持」。

⑥欲求について、過超する人は「名誉心の強い人」、不足する人は「名誉心のない人」と呼ばれ、その中庸は「無名称」である。

⑦怒りについて、過超する人を「起こりっぽい人」、不足する人は「意気地なし」。その中庸は、「穏やかな人」。

⑧真に関しては、過超と不足は「虚飾」と「卑下」。その中庸は「真実」。

⑨快に関しては、諧謔(気の利いたユーモア)においては、過超と不足は「道化」と「野暮」。その中庸は「機知」。

⑩その他の快に関しては、中庸は「親愛」。もしそれが如何なる目的のためでもないならば「機嫌取り」。もしまた自己の利益のためならば「佞人」(嫌な人・不愉快な人)。

 

⇨すべてにおいて「中」的な状態が賞讃に値する。だが、我々は時としては過超の方向へ、また時としては不足の方向へ傾いていることを要する。かくすることによって我々はかえって最もたやすく「中」すなわち「よさ」に適中することになるであろうから。

 

 ◯「中」

・すべて連続的にして可分割的なものにおいては、われわれは「より多き」をも、「より少なき」をも、「均しき」をもとることができる。そしてそれも、事柄それ自身に即してであることもできるし、またわれわれへの関係においてであることもできるのである。

・「均」とは、過超と不足との何らかの意味における「中」にほかならない。今、事柄自身についての「中」とは、両極から均しきだけを離れている所のものの謂いであり、われわれへの関係における「中」とは、これに対して、多すぎず不足もしないものの謂いである。

 

 本書の大半は、この中庸の例を深掘りした内容となっています。日本語訳が難しい所ですが、伝わってくるものがあり、なんといっても「中庸」を目指すには、時に過超や不足偏る方がかえって「中庸」へたどり着きやすいという考え方は、深く考えてみる必要がある一文だと思います。

アリストテレス ニコマコス倫理学(上) (ワイド版岩波文庫)

アリストテレス ニコマコス倫理学(上) (ワイド版岩波文庫)

 

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