エミール(中)(ルソー)
『エミール(中)』(ルソー)
著者のルソーは、1712年フランス生まれ。昔社会科の教科書で『社会契約論』とセットで暗記した記憶がありますが、もう一つの代表作が『エミール』。表紙に記載されているように、「ある教師がエミールという平凡な人間を、誕生から結婚まで、自然という偉大な教師の指示に従って、いかに導いてゆくか」が小説の形式で述べられています。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯純真な心
・子供に純真な心を持ち続けさせる良い方法は一つしかないと思われる。それは、子供の周りにいるすべての人が純真なものを尊重し、愛すること。
・そういうことがなければ、子供に対していくら慎重な態度を取ろうとしても、いずれはボロが出てくる。
・ちょっとした薄笑い、目配せ、不用意な身振りが、子供には言うまいと思っていることを何もかも話してしまう。そういうことを知るには、人がそれを隠そうとしていることがわかるだけで子供には十分。
◯喜びと悲しみ
・子供は喜びと苦しみという、はっきりわかる2つの感情しか持たない。子供は笑うか泣くかするだけだ。
・中間的な感情は子供には何の意味もない。子供はたえずそれら2つの感情の一方から他方へ移っていく。この絶え間ない交代は、それらの感情が子供の顔に変わらない印象を与えることを妨げ、その顔が特徴を帯びることを妨げる。
・ところがもっと感じやすくなって、もっと強く、あるいはもっと継続的に心を動かされる年頃になると、一層深い印象がもう容易には消し去ることのできない跡を残すようになる。そして、習慣的な心の状態から線の配列ができあがり、それは時とともに拭い去ることのできないものになる。
◯比較
・今までは自分のことしか考えていなかったが、彼と同じ人間に注目するようになると、すぐに自分を彼に比べてみることになる。そして、この比較が彼のうちに呼び起こす最初の感情は第一位を占めたいということだ。
・これは自分に対する愛が自尊心に変わる地点、そしてそれに関係するあらゆる情念が現れてくる地点。けれども、そういう情念のなかで彼の性格において支配的になるのが人間的なやさしい情念であるか、それとも残酷でよくない情念であるか、好意と同情に満ちた情念であるか、それとも人を羨み、人のものを欲しがるような情念であるか、それを決定するには、人々のなかで自分はどういう地位にあるとかれは感じるか、また、彼が獲得したいと思っている地位に到達するためにどんな種類の障害を克服しなければならないと考えることになるか、それを知る必要がある。
◯他の人間
・人間の心を理解させるために、私は遠いところにいる人間を見せてやることにしたい。別の時代、他の場所にいる人間を見せてやることにしたい。
・彼は舞台を見ることはできても、そこに登場することは決してできないようにしてやる。
・歴史を通して彼は人の心を見るのだ。単なる観客として、何の利害も感じることなく、仲間としててでも検事としてでもなく、裁判官として見るのだ。
・歴史のなかでは行動が明らかにされ、人々は事実に基づいて判断される。
・自分を隠そうとすればするほど、ますますよく彼らを知ることができる。
・歴史の大きな欠点の一つは、人間を良い面からよりも、はるかに多く悪い面から描いているということ。
中巻は子供時代の教育を中心に述べられています。そういえば、歴史に登場する人物からの学びは大きかったなぁと思います。歴史小説を通して見れば、本書でいう裁判官のような客観的な立場ではなく、登場人物に陶酔して読んでいました。ところが、たとえば戦国時代や幕末のように、いろんな人物が描かれるような時代について、多くの人物の小説を読めば読むほど、客観的に、俯瞰的にその時代を見るようになっていったことは、偏らない見方ができる素養が身につく訓練の場だったかもしれません。